俳優・歌手として長年にわたり活躍する舘ひろしさん。ダンディーで知的なイメージが強い一方、学生時代にはラグビー部の主将を務め、大学では建築を学びながらオートバイチーム「COOLS(クールス)」を結成するなど、現在の俳優像からは想像しにくい青春時代を送っていました。
舘ひろしさんの出身高校は愛知県立千種高等学校、出身大学は千葉工業大学工学部建築学科です。当初は医師を目指して医学部を受験しましたが、進路は次第に建築、音楽、そして俳優へと変化していきました。加えて、大学は一度中退したものの、2021年に特別卒業認定制度によって卒業しています。2026年最新の公開情報をもとに、小学校・中学校から大学卒業までの学歴と、芸能界入りに至る経緯を時系列で整理します。
【学歴一覧】舘ひろしの出身高校・大学とプロフィールを整理

舘ひろしさんは1950年3月31日生まれ、愛知県名古屋市出身の俳優・シンガーソングライターです。本名は舘廣(たち・ひろし)。芸名と本名の読み方は同じです。
舘プロの公式プロフィールでは、愛知県立千種高等学校時代にラグビー部の主将として活躍したこと、千葉工業大学工学部建築学科を卒業したことが紹介されています。学歴を調べるうえで特に重要なのは、大学を単純に「中退」とするだけでは、2021年の卒業という経歴を見落としてしまう点です。
| 項目 | 学校・経歴 | ポイント |
|---|---|---|
| 本名 | 舘廣 | 読み方は「たちひろし」 |
| 出身小学校 | 名古屋市立新栄小学校とする学歴情報あり | 公式プロフィールでは学校名を明記していない |
| 出身中学校 | 名古屋市立白山中学校とする学歴情報あり | 中学時代のエピソードも後年の番組で語られている |
| 出身高校 | 愛知県立千種高等学校 | ラグビー部の主将を務めた |
| 出身大学 | 千葉工業大学工学部建築学科 | 1970年入学。2021年に特別卒業認定制度で卒業 |
| 俳優デビュー | 1976年、映画『暴力教室』 | 大学在学中に芸能活動を始めた |
| 所属事務所 | 舘プロ | 2021年に設立 |
小学校・中学校については、学歴紹介サイトなどで名古屋市立新栄小学校、名古屋市立白山中学校と紹介される例があります。一方、本人の公式プロフィールで明確に確認できる学校歴は高校と大学です。そのため、小中学校名については高校・大学の経歴と同じ確度の公式情報として扱わないことが大切です。
また、舘ひろしさんの学歴を語る際には、学校名だけでなく、進路が変化した理由や、大学時代の活動をあわせて見る必要があります。医師を目指した青年が、なぜ建築を学び、バイクチームを率い、俳優として成功することになったのか。その流れにこそ、学歴を調べる大きな意味があります。
【出身高校】舘ひろしは愛知県立千種高等学校でラグビー部主将に
舘ひろしさんの出身高校は、愛知県名古屋市にある愛知県立千種高等学校です。同校は進学校として知られ、舘さんも高校時代には勉強だけでなく、部活動に力を注いでいました。
高校生活を語るうえで欠かせないのが、ラグビーとの出会いです。舘さんは高校時代にラグビー部へ入部し、主将を務めました。後年の本人の振り返りでは、中学時代に荒れた生活を送ったものの、高校でラグビーに出会ったことが立ち直るきっかけになったと語られています。
2025年11月に放送された日本テレビ系『しゃべくり007』では、中学時代にいじめを経験し、そのことをきっかけにグレてしまったという趣旨の話を披露しました。一方、高校ではラグビーに取り組み、医学部受験にも挑戦しています。いかついファッションや硬派な役柄で知られる舘さんですが、学生時代の歩みには、挫折や方向転換もありました。
高校の偏差値について検索すると、現在の受験情報サイトでは66.8や69前後など、異なる数字が掲載されています。ただし、これらは現在の学校情報を基にした目安であり、舘さんが在籍していた1960年代の入試難易度をそのまま示す数値ではありません。高校時代の学力を偏差値だけで評価するのは適切ではなく、当時の学校事情と本人の活動を区別して考える必要があります。
2026年6月に報じられた故郷・名古屋でのイベントでは、舘さんが高校時代の思い出にも触れています。好きな女の子に会うために靴を磨いて登校しても、当時の道が泥だらけで、すぐに汚れてしまったというエピソードです。進学校でラグビー部を率いた人物の青春時代を、身近な情景から伝える話として印象に残ります。
【医師志望の理由】父親が医師だった舘ひろしの進路選択
舘ひろしさんが当初目指していた職業は医師でした。父親が内科医で、医療に携わる家族が身近にいたことが、その進路を考える背景にありました。舘さんは後年のテレビ番組でも、父親や親族に医師が多かったことを明かしています。
2026年6月に放送されたTBS系『人生最高レストラン』では、医学部を受験したものの、ラグビーに熱中していたこともあり、合格できなかったという趣旨の経緯を語りました。その後、二浪を経て千葉工業大学へ進学しています。
医学部受験から建築学科への進学は、舘さんの人生における最初の大きな方向転換でした。医師という進路が家族の職業や幼少期の希望と結び付いていた一方、本人は次第に別の分野へ関心を広げていきます。
建築を選んだ背景には、建築家になりたいという思いがありました。大学では工学部建築学科に進みましたが、学生生活の中心は次第にバイクや音楽へと移っていきます。進学先が決まったことで将来が一直線に定まったわけではなく、大学生活そのものが、後の芸能活動へとつながる転機になりました。
舘さんの父親は医師であり、舘医院の院長を務めていた人物として紹介されています。本人が医師にならなかったことは、家族の職業をそのまま継承するのではなく、自身の関心や活動を通じて別の道を選んだという点で、学歴を読み解くうえでも重要です。
【出身大学】千葉工業大学に進学し、2021年に卒業した経緯
舘ひろしさんの出身大学は、千葉工業大学工学部建築学科です。1970年に入学しました。大学時代には建築を学ぶ一方、オートバイへの関心を深め、芸能界へつながる活動にも関わるようになります。
大学生活の途中で芸能活動が忙しくなり、学業との両立が難しくなりました。報道によると、舘さんは長期間の休学を経て大学を中退した扱いになっていました。ただし、卒業に必要な単位をほぼ取得していたことが、後の卒業認定につながります。
大きな転機となったのが2021年です。千葉工業大学は同年、舘さんに卒業証書を授与したことを学報「NEWS CIT」で公表しました。卒業は同大学の特別卒業認定制度に基づくもので、舘さんは2021年3月22日に学位記を受け取っています。
この制度は、一定の在籍期間や取得単位などの条件に加え、学長の推薦や社会的貢献などを踏まえて卒業を認定する仕組みです。舘さんの場合、卒業に必要な単位をほぼ取得していたことなどが、認定の背景として報じられました。
「51年越しの卒業」と紹介されることがあるのは、1970年の入学から2021年までの経過年数を数えた表現です。一方、通常の卒業予定年である1974年から数えた報道では「47年越し」と表現されることもあります。起点の違いによるもので、卒業した年が異なるわけではありません。
大学の卒業式にも出席した舘さんは、卒業生に向けて、新しい社会を創造する機会として未来に向けて頑張ってほしいという趣旨のメッセージを送りました。芸能活動を優先した結果、大学を離れた時期があっても、最終的には学びを修了したことになります。
この経歴から分かるのは、舘さんの最終学歴を「大学中退」とだけ紹介するのは正確ではないという点です。大学入学後に休学・中退を経験したことと、2021年に正式に卒業したことは、どちらも学歴を構成する重要な事実です。
【学生時代からCOOLSへ】バイクチーム結成が芸能界入りのきっかけに
千葉工業大学に進学した舘ひろしさんは、学生時代にオートバイへの関心を深めていきました。やがて東京・原宿を拠点に活動するバイクチーム「COOLS(クールス)」のリーダーとなります。現在の俳優としてのイメージからは意外に感じられる可能性がありますが、芸能界入りの直接的なきっかけは、このバイクチームでの活動でした。
COOLSは、もともと音楽バンドではなく、オートバイ好きの仲間が集まったチームです。革ジャンやリーゼントといったスタイルでも知られ、1975年4月には矢沢永吉さん率いるキャロルの解散コンサートで親衛隊を務めました。この出来事をきっかけに注目を集め、同年9月21日にロックバンドとしてレコードデビューを果たします。
舘さんはCOOLSのボーカルとして音楽活動を始めました。当初から俳優を目指していたわけではなく、本人が過去のインタビューで語った経緯によれば、大学を休みながら映画出演の話を受け、音楽活動にも誘われるという形で、芸能の世界に足を踏み入れていきました。
1976年には東映映画『暴力教室』で俳優デビュー。バイクチームのリーダーから音楽活動、そして映画出演へと進んだ経歴は、一般的な俳優の養成ルートとは異なります。大学で学んでいた建築とは別の分野で才能を発揮し、芸能活動が本格化したことで、学業を中断することになりました。
COOLSの活動は、単にバイクを楽しむ学生生活の延長にとどまりませんでした。原宿での活動やキャロルの解散コンサートへの参加を通じて、音楽関係者の目に留まり、レコードデビューへとつながっています。舘さんの進路を大きく変えたのは、大学での専攻よりも、学生時代に自ら参加した活動だったといえます。
【石原プロモーション所属から舘プロ設立へ】学歴の先にある俳優人生
映画『暴力教室』で俳優デビューした舘ひろしさんは、その後、映画やテレビドラマへの出演を重ねていきます。1982年に出演したテレビドラマ『西部警察』をきっかけに渡哲也さんと出会い、1983年2月8日に石原プロモーションへ入社しました。
1986年にはテレビドラマ『あぶない刑事』で主演を務め、クールな刑事役によって広く知られるようになります。音楽活動を出発点に映画へ進み、テレビドラマで人気を確立したキャリアは、医師志望から建築学科へ進学した学生時代と同様、当初の予定に限定されない歩みでした。
石原プロモーションでの活動を経て、舘さんは2021年に自身の事務所である舘プロを設立しました。現在の公式プロフィールでは、俳優としての活動に加え、歌手としての経歴や受賞歴も紹介されています。2018年公開の映画『終わった人』では、モントリオール世界映画祭の最優秀男優賞や日本アカデミー賞の優秀主演男優賞を受賞しました。
学歴の観点から見ると、舘さんのキャリアは、学校で得た知識だけで決まるものではありません。高校でのラグビー、大学での建築の学び、COOLSでの音楽活動、映画への出演、石原プロモーションへの入社という複数の転機が、現在の俳優像を形づくっています。
また、2021年に大学を卒業したことは、芸能界で成功した後も、過去に中断した学業に一つの区切りをつけた出来事でした。大学進学を経て別の道に進み、長い時間を経て卒業を迎えた点は、舘ひろしさんの学歴を語るうえで見逃せない事実です。
【舘ひろし学歴】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:舘ひろしの出身高校はどこですか? A1:愛知県立千種高等学校です。高校時代はラグビー部に所属し、主将を務めました。
Q2:舘ひろしの出身大学はどこですか? A2:千葉工業大学工学部建築学科です。1970年に入学し、芸能活動による休学・中退を経て、2021年に特別卒業認定制度で卒業しました。
Q3:舘ひろしはなぜ医師にならなかったのですか? A3:父親が医師だったことから医学部を目指して受験しましたが、合格できず、二浪後に千葉工業大学へ進学しました。その後は建築やバイク、音楽に関心を深め、芸能界へ進みました。
Q4:舘ひろしの出身小学校・中学校はどこですか? A4:学歴紹介サイトなどでは、名古屋市立新栄小学校、名古屋市立白山中学校と紹介されています。ただし、本人の公式プロフィールでは小中学校名は明記されていません。
Q5:舘ひろしの高校の偏差値はいくつですか? A5:現在の受験情報サイトでは、おおむね66.8〜69前後とする情報があります。ただし、数値は掲載サイトや年度によって異なり、舘さんが在籍した当時の偏差値を示すものではありません。
Q6:舘ひろしはいつ俳優デビューしましたか? A6:1976年に東映映画『暴力教室』で俳優デビューしました。その前にはCOOLSのボーカルとして音楽活動を行っていました。
舘ひろしさんの学歴は、愛知県立千種高等学校から千葉工業大学工学部建築学科へと進む経歴が中心です。高校時代はラグビー部の主将を務め、大学では建築を学びながらバイクチームCOOLSを結成。音楽活動をきっかけに映画へ進み、1976年に俳優デビューを果たしました。
父親が医師だったことから医学部を目指したものの、最終的には建築を学び、芸能界で成功を収めた舘さん。その後、大学を中退した経歴だけでなく、2021年に特別卒業認定制度によって卒業した事実も、現在の学歴を理解するうえで欠かせません。
2026年時点で舘ひろしさんの学歴を調べる際は、出身校の名前だけでなく、当初の医師志望、ラグビー部での経験、大学での進路変更、COOLS結成、俳優デビューという一連の流れを押さえることが大切です。学生時代の選択と予想外の転機が重なり、現在の俳優・舘ひろしのキャリアにつながっています。
主な根拠資料:舘プロ公式プロフィール・略歴、千葉工業大学の学報「NEWS CIT」、スポニチアネックスの2025〜2026年の番組報道、デイリースポーツの2026年6月の取材記事、キングレコードのCOOLS紹介資料など。