お笑いトリオ「コント赤信号」のメンバーとして1980年代のお笑いブームを支え、現在は俳優として舞台・映画・ドラマに活躍の場を広げている小宮孝泰さん。1956年3月11日生まれの小宮さんは、2026年に70歳を迎えました。近年は舞台「星屑の町」シリーズの最終章への出演や、長年取り組んできた一人芝居の映像化構想など、俳優として新たな挑戦を続けています。
一方、私生活では1991年に結婚した妻・佳江さんを2012年に乳がんで亡くし、その後の暮らしや心境についても率直に語ってきました。2022年には、かつて人気を集めた「MCコミヤ」のダンスについて「全然できない」と発言し、年齢を重ねることへの実感を明かしています。渡辺正行さん、ラサール石井さんとの出会いから現在の活動、妻との別れを経て築いた生活まで、本人のインタビューや所属事務所のプロフィール、報道をもとに整理します。
【小宮孝泰のプロフィール】年齢・出身地・学歴・所属事務所を整理

小宮孝泰(こみや・たかやす)さんは、コメディアンとして知られる一方、長年にわたって舞台を中心に活動してきた俳優です。コント赤信号で培った喜劇的な表現力を土台に、映画やテレビドラマ、落語、一人芝居などへと仕事の幅を広げてきました。
所属事務所オフィスPSCのプロフィールでは、1956年3月11日生まれ、神奈川県小田原市出身、明治大学卒業と紹介されています。2026年10月現在、年齢は70歳です。
学生時代から落語に親しんでいたことも、小宮さんの活動を理解するうえで欠かせません。明治大学の落語研究会で渡辺正行さんと知り合い、後にラサール石井さんが加わったことが、コント赤信号の出発点になりました。落語で培った間の取り方や言葉への感覚は、現在の俳優活動にもつながっています。
また、小宮さんは2004年、文化庁の文化交流使としてロンドンに滞在し、演劇を学んだ経験も持ちます。海外での演劇経験や英語による一人芝居への挑戦は、テレビのお笑いだけにとどまらない表現者としての一面を示しています。
小宮孝泰さんの基本プロフィール
- 生年月日:1956年3月11日
- 年齢:70歳(2026年10月現在)
- 出身地:神奈川県小田原市
- 学歴:明治大学卒業
- 所属事務所:オフィスPSC
- 主な活動:俳優、お笑い、舞台プロデュース、落語
- 代表的な活動:コント赤信号、「星屑の町」シリーズ、「ごらく亭」、一人芝居「線路は続くよどこまでも」
【1977年結成・1980年デビュー】渡辺正行とラサール石井との出会い
コント赤信号は、小宮孝泰さん、渡辺正行さん、ラサール石井さんによる3人組のコントグループです。1980年代のお笑いブームで人気を集めたグループですが、その原点はテレビ出演よりも前の、学生時代や劇場での修業にありました。
チケットぴあのグループ紹介などによると、明治大学の落語研究会で同期だった渡辺さんと小宮さんは、学生時代からコントを演じていました。その後、2人と同じく演劇の世界を志していたラサールさんが加わり、1977年10月ごろから3人でコント活動を開始。国立音楽大学の学園祭で司会とコントを披露した際、初めて「コント赤信号」の名前を使用したとされています。
その後、3人は劇場で経験を積みました。テレビに出る前から舞台で笑いを磨いていたことが、彼らの芸風を形づくった重要な要素です。1980年には「花王名人劇場」でテレビデビューを果たし、活動の場を全国へ広げていきました。
1980年代のお笑いブームでは、コント赤信号は高い人気を獲得。テレビ朝日の「徹子の部屋」に関する2023年の紹介記事では、全盛期にはレギュラー番組が10本以上あったと伝えられています。劇場での下積みを経て、テレビで幅広い視聴者に知られる存在になったのです。
3人は同じグループに所属しながら、それぞれ異なる持ち味を発揮してきました。渡辺さんは司会やタレント活動、ラサールさんは俳優・声優・脚本など、小宮さんは舞台を中心とした俳優活動へと、それぞれの専門領域を広げています。近年は個々の活動が目立ちますが、3人の名前は今もコント赤信号として紹介されています。
【経歴年表】コント赤信号から俳優・舞台人へ、2026年の活動まで
小宮さんのキャリアを振り返ると、テレビのお笑いから俳優業への移行だけでなく、落語や一人芝居といった個人の企画を長く育ててきたことが分かります。主な節目を時系列でまとめました。
| 時期 | 出来事・活動 | 注目ポイント |
|---|---|---|
| 1956年3月11日 | 神奈川県小田原市に生まれる | 2026年に70歳 |
| 1977年10月ごろ | 渡辺正行・ラサール石井とコント活動を開始 | コント赤信号の原点 |
| 1980年 | 「花王名人劇場」でテレビデビュー | お笑いグループとして全国的な活動へ |
| 1984年 | 赤信号劇団を旗揚げ | コントとは異なる演劇にも取り組む |
| 1991年 | 「M.C.小宮」名義で音楽活動 | 後に「MCコミヤ」として知られるパフォーマンスにつながる |
| 2004年 | 文化庁文化交流使としてロンドンに滞在 | 演劇を学び、一人芝居にも挑戦 |
| 2012年10月31日 | 妻・佳江さんが死去 | その後の人生や生活についても公に語る |
| 2018年 | エッセー『猫女房』を出版 | 妻との思い出や夫婦の日々を記録 |
| 2020年 | 映画『星屑の町』が公開 | 長年続く舞台シリーズが映画化 |
| 2022年1月 | 主演映画『桃源郷的娘』の公開記念舞台あいさつに登壇 | 「MCコミヤは全然できない」と老いについて語る |
| 2026年4月 | 一人芝居「線路は続くよどこまでも」のドキュメンタリー映画化構想を紹介 | 長年のライフワークを映像として残す挑戦 |
| 2026年10月 | 舞台「星屑の町~忘却篇」が開幕 | シリーズの最終章として32年の歩みを締めくくる |
年表から読み取れるのは、小宮さんが芸人としての知名度を得た後も、舞台や演劇の仕事を継続してきたことです。テレビでの人気だけを追い求めるのではなく、長期間にわたって上演する作品や、自ら企画する表現活動を積み重ねてきました。
2026年4月20日付の日刊ゲンダイDIGITALの記事では、一人芝居「線路は続くよどこまでも」をドキュメンタリー映画にする構想が紹介されました。同作は18年前から続けているライフワークで、記事では過去の再演や地方公演にも触れられています。小宮さんは映像化を今後1〜2年ほどの目標として語っており、公開日が確定した新作映画というより、実現に向けて取り組む企画として捉えるのが正確です。
【俳優・小宮孝泰の現在】「星屑の町」と舞台に注ぐ70歳の情熱
小宮さんが芸人から俳優へと活動の軸を広げたのは、単なる仕事の方向転換ではありません。コントで培った人物観察や間の取り方を生かしながら、長い物語のなかで人物の背景や感情を表現する演劇へと、表現の領域を広げてきました。
映画やドラマでは、NHK大河ドラマ「武田信玄」、TBS系「3年B組金八先生 第5シリーズ」、テレビ朝日系「相棒」などへの出演歴が紹介されています。映画でも「ゲロッパ!」や「わが母の記」、「土竜の唄 潜入捜査官 REIJI」などに出演。作品ごとに異なる人物を演じる俳優として、活動を重ねてきました。
なかでも長年にわたる代表的な舞台活動が「星屑の町」シリーズです。水谷龍二さんが作・演出を手がける同シリーズは、売れないムード歌謡コーラスグループ「山田修とハローナイツ」の人間模様を描き、笑いと哀愁を交えながら、夢を追う人々の姿を伝えてきました。
2020年には映画「星屑の町」が公開され、舞台で育まれた物語が映画という形でも届けられました。そして2026年10月3日には、シリーズの最終章となる舞台「星屑の町~忘却篇」が開幕。日刊スポーツは10月3日付の記事で、前日の公開ゲネプロと囲み取材の模様を報じています。
同作について小宮さんは「32年の集大成をお届けします」と語りました。作品を長く続けてきた仲間とのチームワークに自信を示し、シリーズを締めくくる舞台への思いを明かしています。70歳を迎えた年に、長年の代表作の最終章を演じることは、現在の小宮さんを象徴する出来事の一つです。
もう一つの活動が、役者による落語会「ごらく亭」です。2011年に始めたこの会では、小宮さん自身も高座に上がっています。2024年の家族葬のファミーユ「日々摘花」のインタビューによると、2024年8月には15回目を迎えました。妻の佳江さんが名前を考えた会でもあり、小宮さんは規模を見直しながらも、できる限り続けたいという思いを語っています。
舞台の出演者としてだけでなく、企画を立ち上げ、落語を披露し、一人芝居の映像化も目指す。こうした活動の重なりが、小宮さんの現在を理解する鍵になります。テレビで見た往年の芸人というイメージだけでは、その仕事の広がりを捉えきれません。
【妻・佳江さんとの別れ】2012年の死別後、小宮孝泰はどう暮らしているのか
小宮さんの人生を語るうえで、妻・佳江さんとの別れは大きな節目です。2人は1991年に結婚し、21年間をともに過ごしました。佳江さんは小宮さんより14歳年下で、乳がんを患った後、2012年10月31日に42歳で亡くなりました。
この経緯については、テレビ朝日系の「徹子の部屋」関連報道や、テレビ朝日POST、家族葬のファミーユのインタビューなどで、小宮さん自身が振り返っています。佳江さんは病気のことを広く知らせることを望最初に、夫婦は治療と日常生活を両立させながら時間を過ごしていました。
2024年9月に公開されたファミーユのインタビューでは、妻が亡くなった直後の暮らしについても語っています。葬儀や手続きに追われていた時期が過ぎ、泊まりに来ていた義母が帰ったときに、ようやく「いよいよ本当にひとりになってしまった」と実感したといいます。
一方で、その後すぐに自主映画の撮影があり、仕事に取り組むことが日常を支えました。悲しみがなくなったわけではなくても、やるべき仕事や周囲とのつながりが生活のリズムを取り戻す助けになったと振り返っています。
小宮さんは、妻が生前に残した大量のメモを整理する過程で、自分が気づいていなかった妻の気遣いや配慮を知ったとも語っています。2018年に出版したエッセー『猫女房』には、夫婦の日々や猫の写真、佳江さんが残した言葉などがまとめられました。単なる追悼の記録にとどまらず、長く一緒に暮らした相手の人柄を改めて知る過程でもあったのでしょう。
独身生活の実態は、孤独だけを強調するものではありません。マネーポストWEBの2025年の記事では、妻に先立たれた後の生活を立て直すため、映画や芝居を日常的に鑑賞することや、必要なときには人を頼ることが紹介されています。2024年の本人インタビューでも、仕事に救われたことや、妻の残した料理のレシピを活用して生活していることが語られました。
小宮さんは、妻が残したレシピを使って料理を続けている一方、掃除は少し苦手だとも明かしています。また、年に一度の健康診断を受けるなど、自身の健康にも気を配るようになったといいます。こうした話から見えてくるのは、配偶者との死別後の生活が、悲しみを乗り越えれば終わる単純な過程ではないということです。
2026年2月の朝日新聞の記事でも、妻を亡くして一人になった後について、孤独で内向きになる時間はあまりなかったという本人の言葉が紹介されています。再婚を公表しているわけではなく、現在の生活は仕事や人とのつながりを大切にしながら築かれていると受け止められます。
妻を亡くした後も、小宮さんは「ごらく亭」を続け、舞台に立ち、新たな企画を考えてきました。佳江さんが残したものを大切にしながら、自分自身の生活も更新していく。その姿勢は、本人がインタビューで語ってきた言葉と、実際の活動の両方に表れています。
【MCコミヤはもう踊れない?】2022年の「老い」発言を読み解く
小宮さんの名前を検索すると、「MCコミヤ」「老い」「全然できない」といった言葉が関連して表示されることがあります。そのきっかけとなったのが、2022年1月に行われた映画「桃源郷的娘」の公開記念舞台あいさつです。
小宮さんはかつて、M.C.ハマーのパロディーとして知られる「MCコミヤ」のパフォーマンスを披露していました。1991年には「M.C.小宮」名義で音楽活動を行った経歴もあります。当時のダンスや勢いのあるパフォーマンスは、コント赤信号の時代とは異なる、小宮さんの芸の一面でした。
2022年の舞台あいさつでは、映画で年齢を重ねた男性を演じたことに触れ、「昔、MCコミヤとして踊っていたので、時々『やって』って言われるんですけれど、全然できないんですよね」と語りました。シネマファクトリーや日刊スポーツなどの報道でも、この発言が紹介されています。
ただし、この言葉を「芸能活動ができなくなった」「引退を表明した」という意味に解釈するのは正確ではありません。本人が話していたのは、かつてできたダンスを今は同じようにできないという、年齢による身体の変化についてです。
小宮さんは同じ場で、昔できたことができなくなる一方、以前は考えられなかったことができるようになる場合もある、という趣旨の発言もしています。これは単なる衰えの告白ではなく、年齢とともに表現方法や役割が変わることへの実感と読むことができます。
実際、2022年以降も小宮さんは映画や舞台への出演を続けています。2026年には「星屑の町~忘却篇」の舞台に立ち、一人芝居のドキュメンタリー映画化にも取り組む意向を示しました。MCコミヤのダンスを以前と同じように披露できるかどうかと、俳優としての活動を続けられるかどうかは、別の問題です。
若い頃の姿を懐かしむ視聴者にとって、MCコミヤは印象深い存在でしょう。しかし、小宮さんの現在を理解するなら、過去のパフォーマンスだけでなく、長年続けてきた舞台や落語、一人芝居にも目を向ける必要があります。2022年の発言は、キャリアの終わりを示す言葉ではなく、表現者として年齢を受け止める一つの場面だったのです。
【コント赤信号小宮】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:小宮孝泰さんは2026年現在、何歳ですか?
A1:1956年3月11日生まれで、2026年10月現在70歳です。神奈川県小田原市出身で、明治大学を卒業しています。
Q2:コント赤信号はいつ結成され、いつテレビデビューしましたか?
A2:渡辺正行さんと小宮さんが学生時代にコントを始め、ラサール石井さんが加わって1977年10月ごろから3人で活動しました。1980年に「花王名人劇場」でテレビデビューしています。活動開始とテレビデビューは別の時期です。
Q3:小宮孝泰さんの妻・佳江さんはいつ亡くなったのですか?
A3:佳江さんは乳がんを患い、2012年10月31日に42歳で亡くなりました。小宮さんは2018年にエッセー『猫女房』を出版し、夫婦の思い出や妻が残した記録を紹介しています。
Q4:小宮孝泰さんは現在も独身ですか?
A4:佳江さんとの死別後、再婚を公表しているわけではありません。本人のインタビューでは、仕事や料理、落語会などを続けながら生活している様子が語られています。
Q5:「MCコミヤは全然できない」という発言は引退を意味しますか?
A5:いいえ。2022年の発言は、若い頃に披露していたダンスを今は同じようにできないという趣旨です。2026年も舞台「星屑の町~忘却篇」などに出演しており、引退表明を意味するものではありません。
Q6:小宮孝泰さんの2026年の主な活動は何ですか?
A6:2026年10月には、長年出演してきた「星屑の町」シリーズの最終章「星屑の町~忘却篇」が開幕しました。また、日刊ゲンダイDIGITALの2026年4月の記事では、一人芝居「線路は続くよどこまでも」のドキュメンタリー映画化構想も紹介されています。
コント赤信号の小宮孝泰さんは、渡辺正行さん、ラサール石井さんと1977年ごろからコント活動を始め、1980年にテレビデビューしました。お笑いブームで人気を得た後は、俳優として舞台・映画・ドラマに活動の幅を広げ、落語会「ごらく亭」や一人芝居など、自ら企画する表現活動も続けています。
私生活では、2012年に妻・佳江さんを42歳で亡くしました。本人が語ってきた独身生活には、喪失の悲しみだけでなく、仕事に支えられた日々や、妻が残したレシピを使った料理、周囲の人々とのつながりがあります。妻との思い出を大切にすることと、自分の人生を前へ進めることを両立させてきた姿が印象的です。
2022年の「MCコミヤは全然できない」という発言も、単純な衰えや引退の話ではありません。かつての芸を懐かしみながら、年齢に応じた新しい表現へと進む小宮さんの現在を映した言葉です。2026年の「星屑の町~忘却篇」や、一人芝居の映像化構想は、その歩みが今も続いていることを示しています。
小宮孝泰さんの現在を調べる際には、昔のテレビ出演や懐かしいダンスの話題だけで判断せず、所属事務所のプロフィール、本人のインタビュー、舞台の公式情報、日刊スポーツや日刊ゲンダイDIGITALなどの報道を合わせて見ることが大切です。そうすることで、コント赤信号の一員という肩書だけでは捉えきれない、70歳を迎えた俳優・小宮孝泰の仕事と人生が見えてきます。