女優として映画やテレビドラマで活躍し、明るく親しみやすい人柄でバラエティー番組でも愛された中村玉緒さん。明石家さんまさんとの共演では、息の合った掛け合いや飾らない笑顔が多くの視聴者を楽しませてきました。さんまさんが「お母さん」と呼んで慕った2人の関係は、単なる番組上の共演者という枠を超えたものだったといえます。
しかし、2026年6月9日、中村玉緒さんは肺炎のため86歳で亡くなりました。訃報を受けたさんまさんは、MBSラジオ「ヤングタウン土曜日」で「心にポカンと穴が開いたような感じになって」と心境を明かしています。加えて、長年見舞いに行かなかった理由や、通夜・告別式に2日連続で参列した経緯も語りました。2人の出会いから最後の別れまで、報道された事実をもとに振り返ります。
【訃報】中村玉緒さんは2026年6月9日に死去、86歳の生涯を振り返る

中村玉緒さんの訃報は、2026年6月12日に所属事務所の長良プロダクションから公表されました。発表によると、6月9日に肺炎のため亡くなったといいます。通夜は6月16日、告別式は6月17日に東京都内の桐ケ谷斎場で営まれました。
中村さんは1939年7月12日、京都府に生まれました。歌舞伎俳優の二代目中村鴈治郎さんを父に持つ芸能一家の出身で、1953年に松竹映画「景子と雪江」でデビュー。その後、大映映画を中心に俳優として経験を積み、映画「ぼんち」「大菩薩峠」などに出演しました。
1962年には俳優の勝新太郎さんと結婚。映画界で確かなキャリアを築いた一方、1990年代以降はバラエティー番組でも活躍の幅を広げました。女優としての品格を保ちながら、思いがけない発言や豪快な笑いで場を和ませる独特のキャラクターが、多くの視聴者に親しまれました。
映画やドラマで培った表現力と、バラエティーで見せる自然体の魅力。その両方を持ち合わせていたことが、中村さんの大きな個性でした。明石家さんまさんとの出会いは、俳優としての実績に加え、タレントとしての新たな魅力を広く知らしめる転機になったのです。
【出会いから追悼まで】中村玉緒さんと明石家さんまの共演年表
中村さんとさんまさんの交流を理解するうえで欠かせないのが、1990年代のテレビバラエティーです。2026年7月に放送された「さんまのまんま 真夏のおしゃべり祭り」では、2人が初めて共演した約33年前の映像が紹介されました。さんまさん自身も、出会いのきっかけが「さんまのまんま」だったと振り返っています。
当時の中村さんは、映画やドラマで活躍してきたベテラン女優でした。さんまさんは、その受け答えの中にバラエティーで生きる魅力を感じ、プロデューサーにレギュラー出演を打診するよう働きかけたといいます。その後、「さんまのSUPERからくりTV」などでの共演につながりました。
| 時期 | 出来事・番組 | 関係性のポイント |
|---|---|---|
| 1953年 | 映画「景子と雪江」でデビュー | 中村玉緒さんが俳優としてのキャリアをスタート |
| 1993年ごろ | 「さんまのまんま」で初共演 | さんまさんが中村さんのバラエティーでの魅力に注目 |
| 1990年代以降 | 「さんまのSUPERからくりTV」など | 自然体の笑いや掛け合いで人気を集める |
| 長年にわたり | 「さんま・玉緒のお年玉!あんたの夢をかなえたろかSP」 | 中村さんが放送を楽しみにし、さんまさんとの共演を大切にした |
| 2026年6月9日 | 中村さんが肺炎のため死去 | 享年86。所属事務所が6月12日に公表 |
| 2026年6月13日 | MBSラジオ「ヤングタウン土曜日」 | さんまさんが訃報を受けた心境や感謝を語る |
| 2026年6月16・17日 | 通夜・告別式 | さんまさんが両日とも参列 |
| 2026年6月20日 | 「ヤングタウン土曜日」 | 通夜に参列できた経緯を振り返る |
この年表から見えてくるのは、2人の関係が一度のヒット番組で終わったものではないという点です。初共演をきっかけに複数の番組で長く交流し、特別番組でも顔を合わせる関係へと発展しました。
オリコンニュースが2026年7月に報じた追悼企画でも、さんまさんは初共演の映像を見ながら、中村さんをバラエティー番組のレギュラーに迎えたいと考えた経緯を説明しています。出会いの瞬間に感じた面白さを、さんまさんは後年まで鮮明に覚えていたのです。
【なぜ「お母さん」と呼んだ?】2人の関係が特別だった理由
さんまさんが中村さんを「お母さん」と呼んでいたのは、実際の親子関係があるからではありません。長年の共演を通じて生まれた親しみや敬意を表す呼び方であり、2人の間柄を象徴する言葉でした。
中村さん自身も、2022年に掲載された婦人公論のインタビューで、1993年ごろにさんまさんとの出会いがあり、「さんまのまんま」に呼ばれたことを振り返っています。さんまさんが自分を「お母さん」と呼ぶことについて、親子の縁で結ばれているのではないかと感じる趣旨の思いも語っていました。
2人の間にあったのは、年齢差だけで説明できる関係ではありません。さんまさんは中村さんの魅力を引き出す役割を担い、中村さんはさんまさんのツッコミに対して飾らない反応を返しました。互いの持ち味がかみ合うことで、台本だけでは生まれない笑いが生まれていたのです。
特に、中村さんの自然な受け答えや豪快な笑いは、さんまさんのテンポの速いトークと相性がよく、番組の空気を一変させる力がありました。さんまさんは2026年6月13日のラジオでも、中村さんについて「笑いの神」が住み着いていたと評しています。
また、中村さんは「さんま・玉緒のお年玉!あんたの夢をかなえたろかSP」の放送を楽しみにしていたことで知られています。さんまさんは、番組が終わるたびに中村さんから次の放送時期を尋ねられたと明かしました。報道によると、中村さんは同番組の収録に合わせて着物を新調することもあり、出演を特別な楽しみにしていたそうです。
こうしたエピソードは、2人の関係がテレビ画面の中だけにとどまらなかったことを物語っています。仕事を通して築かれた信頼と、次の共演を待ち遠しく思う気持ち。その積み重ねが、「お母さん」という呼び方に温かみを与えていたのでしょう。
【勝新太郎さんとの秘話】さんまが中村玉緒さんを番組に誘った舞台裏
中村さんとさんまさんの関係を語る際、夫である勝新太郎さんとのエピソードも欠かせません。さんまさんは2026年6月13日の「ヤングタウン土曜日」で、中村さんをバラエティー番組に起用するまでの経緯や、勝さんと初めて向き合った際の出来事を振り返りました。
さんまさんによると、中村さんをバラエティー番組に迎えようとした際、勝さんと話し合う機会がありました。その場で勝さんから突然、「お前、玉緒を抱けるか?」と質問されたといいます。
この言葉だけを見ると驚くような質問ですが、さんまさんが過去の番組などで説明してきた文脈では、共演者をどれほど愛情を持って受け入れ、一緒に仕事をつくっていけるかを問うものだったとされています。さんまさんが「はい、抱けます」と答えると、勝さんは共演者同士の気持ちのあり方について語ったといいます。
さんまさんは、勝さんが自身の出演番組をよく見ていたことも明かしています。2015年に放送された日本テレビ系の特別番組でも、勝さんが入院中に「27時間テレビ」を見て、放送後に感想を電話で伝えてくれたという思い出を語りました。さんまさんにとって、それほど自分の仕事を見守ってくれていたことは、芸能生活を続けるうえで大きな意味を持つ出来事だったようです。
このエピソードから分かるのは、中村さんのバラエティー進出が、単に番組側の起用によって決まったものではなかったということです。さんまさんが中村さんの魅力を見いだし、勝さんとの話し合いを経て出演へとつなげた。その背景には、出演者への敬意と、番組を一緒につくる相手としての信頼がありました。
中村さんの明るいキャラクターが広く知られるようになった背景には、本人の持ち味はもちろん、それを理解して引き出した共演者や制作側の存在もあったのです。
【心に穴が開いた】さんまがラジオで語った追悼と見舞いに行かなかった理由
2026年6月13日放送のMBSラジオ「ヤングタウン土曜日」で、さんまさんは中村さんの訃報に触れました。長年にわたり病気で施設に入っていたことから、ある程度の覚悟はしていたとしながらも、娘さんから連絡を受けた際には「心にポカンと穴が開いたような感じになって」と心境を明かしました。
訃報を受けた際に、すぐに涙や強い悲しみが表に出るとは限りません。長い時間をかけて相手の状況を受け止めていたとしても、実際に別れの知らせが届けば、それまで日常に存在していた相手がいなくなる現実に直面します。さんまさんの言葉からは、覚悟と喪失感が同時に存在していたことがうかがえます。
注目されたのは、さんまさんが中村さんの入所先に見舞いに行かなかった理由です。デイリースポーツやモデルプレスなどの報道によると、さんまさんは中村さんが「さんま・玉緒のお年玉!あんたの夢をかなえたろかSP」を大好きだったことを説明。放送が終わるたびに「次はいつですか」と尋ねられていたと振り返りました。
さんまさんは、自分たちが見舞いに行けば、中村さんが番組に戻れると期待してしまうのではないかと考えていたそうです。加えて、会っても自分のことを覚えていなかったらどうしようという不安や、弱っている姿を見るのがつらいという気持ちもあったと明かしました。TBSのディレクターも同様に見舞いには行かなかったと報じられています。
ここで重要なのは、見舞いに行かなかったことを、親交の薄さや関心のなさと結びつけるのは適切ではないという点です。さんまさんの説明からは、再会によって中村さんが番組への復帰を期待することへの心配と、本人の状態を目の当たりにすることへの葛藤が読み取れます。
ラジオでは、中村さんへの感謝も率直に語りました。さんまさんは、中村さんが笑いの神に愛された存在だったと振り返り、「本当に、お母さん、どうもありがとうございました。もう、感謝しかありません」と述べています。
この言葉には、長年にわたる仕事への感謝だけでなく、共演を通して自分の番組を支えてくれた相手への敬意も込められていたのでしょう。見舞いに行かなかったことと、深い感謝を抱いていたことは、必ずしも矛盾しません。
【通夜・告別式に参列】さんまが「玉緒さんに呼ばれた」と語った理由
さんまさんは、2026年6月16日に営まれた中村さんの通夜と、翌17日の告別式の両方に参列しました。日刊スポーツなどの報道によると、芸人として人前で涙を見せることへの考えもあり、さんまさんがこうした弔いの場に姿を見せるのは異例と受け止められました。
通夜に参列できた経緯について、さんまさんは6月20日放送の「ヤングタウン土曜日」で詳しく説明しています。当初は仕事の都合で参列が難しいと考えていたものの、当日の「踊る!さんま御殿!!」の収録時間が、普段とは異なる午後2時開始になったことで、通夜に出席できる見通しが立ったそうです。
さんまさんによると、火曜日の同番組は通常、夕方から収録することが多く、この日は約30年の間でも初めてといえるほど早い時間の収録だったといいます。その巡り合わせについて、さんまさんは「玉緒さんがオレを呼んでくれた」と感じたと語りました。
通夜は6月16日午後6時から、告別式は17日午前9時30分から、いずれも東京都内の桐ケ谷斎場で営まれました。さんまさんは通夜に続いて告別式にも足を運び、2日連続で最後の別れを告げました。
さんまさんが通夜に参列できたのは、仕事の予定が変わったことによるものでした。ただ、その偶然を本人が「呼ばれた」と受け止めたことには、長年「お母さん」と慕った中村さんとの関係が表れています。
6月20日のラジオでは、さんまさんは最後に「これからもね、お母さんよろしくお願いします」という趣旨の言葉を送りました。中村さんへの感謝を、ラジオでの追悼だけでなく、実際に通夜と告別式に参列する形でも伝えたのです。
なお、告別式では中村さんと親交のあった多くの芸能関係者が参列し、夫の勝新太郎さんの弟子として知られる松平健さんが弔辞を読みました。TBS NEWS DIGやテレビ朝日なども、告別式の様子と参列者のコメントを報じています。
【プロの結論】中村玉緒さんとさんまの関係が残したもの
中村玉緒さんと明石家さんまさんの交流を振り返ると、長く愛されるバラエティー番組には、出演者同士の相性と信頼が欠かせないことが分かります。中村さんは映画界で培った経験を持ちながら、バラエティーでは自然な反応や豪快な笑いを見せました。さんまさんはその個性を見逃さず、番組の中で魅力が発揮される機会をつくりました。
2人の掛け合いが長く支持された理由は、どちらか一方が相手を一方的に笑わせる関係ではなかったからでしょう。さんまさんの鋭いツッコミと、中村さんの予想を超える反応が組み合わさることで、視聴者は毎回新しい笑いに出会えました。作り込まれた演出だけでは再現しにくい、長年の共演で培われた空気感があったのです。
また、さんまさんが中村さんを「お母さん」と呼び、訃報後も感謝を繰り返し語ったことは、芸能界における人間関係の価値を伝えています。共演者を単なる仕事相手として見るのではなく、その人らしさを尊重し、長所を引き出し、一緒に作品や番組をつくる。その姿勢は、テレビ制作に携わる人だけでなく、仕事で他者と関わるすべての人に通じるものです。
一方で、見舞いに行かなかったことをめぐっては、外から見える行動だけでは、人の気持ちを判断できないことも示されました。会いに行くことだけが愛情の証明ではなく、相手が何を楽しみにしていたのか、再会がどのような影響を与える可能性があるのかを考えることも、関係性の一部です。
さんまさんが通夜と告別式に参列したこと、そして「心にポカンと穴が開いた」と語ったことは、長年の交流が本人にとってどれほど大きなものだったかを物語っています。中村さんが残した笑いと、2人の共演で生まれた数々の場面は、今後も映像や再放送を通じて多くの人に受け継がれていくでしょう。
【中村玉緒さんま】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:中村玉緒さんはいつ亡くなったのですか? A1:2026年6月9日、肺炎のため86歳で亡くなりました。所属事務所の長良プロダクションが6月12日に公表しています。
Q2:中村玉緒さんと明石家さんまさんは、どの番組で出会ったのですか? A2:「さんまのまんま」での共演がきっかけです。その後、「さんまのSUPERからくりTV」や「さんま・玉緒のお年玉!あんたの夢をかなえたろかSP」などで長く共演しました。
Q3:さんまさんが中村玉緒さんを「お母さん」と呼ぶ理由は何ですか? A3:実の親子ではなく、長年の共演で築いた親しみと敬意を込めた呼び方です。中村さん自身も、さんまさんとの関係を親子の縁にたとえる趣旨の思いを語っています。
Q4:さんまさんが中村玉緒さんの見舞いに行かなかったのはなぜですか? A4:中村さんが番組への復帰を期待してしまう可能性や、会っても自分のことを思い出せないかもしれないという不安、弱った姿を見るのがつらいという気持ちがあったと、2026年6月13日のラジオで説明しています。
Q5:さんまさんは中村玉緒さんの通夜や告別式に参列しましたか? A5:はい。2026年6月16日の通夜と17日の告別式の両方に参列しました。通夜については、当日の「踊る!さんま御殿!!」の収録時間が通常より早かったため出席できたと、6月20日のラジオで振り返っています。
Q6:2026年現在、中村玉緒さんの活動状況はどうなっていますか? A6:中村さんは2026年6月9日に亡くなっています。そのため、現在の新たな芸能活動はありません。これまでの映画やテレビ番組での出演映像、追悼番組などを通じて、その功績や人柄が振り返られています。
中村玉緒さんと明石家さんまさんの関係は、「さんまのまんま」での出会いから始まり、長年のバラエティー番組での共演を通して深まっていきました。さんまさんが「お母さん」と呼んで慕った背景には、中村さんの飾らない人柄と、互いの魅力を引き出し合う信頼がありました。
2026年6月9日の訃報を受け、さんまさんはラジオで「心にポカンと穴が開いた」と悲しみを語り、見舞いに行かなかった理由についても率直に説明しました。そして通夜と告別式の両方に参列し、最後の別れを告げています。
中村さんが残したものは、俳優としての功績だけではありません。さんまさんとの掛け合いを通じて届けた笑い、視聴者に愛された自然体の魅力、そして共演者との間に築いた温かな関係も、その大切な遺産です。2人の歩みを振り返ることは、笑いが人と人をつなぎ、長い時間を経ても心に残り続ける力を、あらためて感じる機会となっています。