「渋沢栄一銀行」と検索すると、渋沢栄一が設立した銀行は現在どこにあるのか、第一国立銀行とみずほ銀行にはどのような関係があるのか、と疑問に思う人も多いのと考えられます。渋沢栄一は、1873年(明治6年)に日本初の銀行として開業した第一国立銀行の創設を主導し、1875年(明治8年)には頭取に就任しました。その銀行の系譜は、第一銀行、第一勧業銀行を経て、現在のみずほ銀行へとつながっています。
ただし、歴史を正確に理解するには、銀行の名称変更だけでなく、合併や組織再編も押さえる必要があります。また、渋沢栄一は東北地方の金融発展にも尽力しており、現在の七十七銀行とも深い関係を持っていました。2026年時点の銀行の系譜を、みずほフィナンシャルグループ、日本銀行、渋沢栄一記念財団、七十七銀行などの公式資料をもとに整理します。
【結論】渋沢栄一が設立した銀行は現在のみずほ銀行につながっている

最初に、最も気になる疑問から答えます。2026年現在、「渋沢栄一銀行」という正式名称の銀行が営業しているわけではありません。渋沢栄一が創設を主導した第一国立銀行の系譜をたどると、現在のみずほ銀行に行き着きます。
みずほフィナンシャルグループの公式沿革では、1873年の第一国立銀行設立が、現在の銀行グループにつながる歴史の重要な起点として紹介されています。渋沢栄一記念財団も、第一銀行は現在のみずほ銀行に継承されていると説明しています。
ここで押さえておきたいのは、第一国立銀行がそのまま同じ法人名で現在まで存続しているわけではない、という点です。歴史の途中では商号変更、他行との合併、組織再編がありました。「第一国立銀行=現在のみずほ銀行」という説明は、銀行の系譜を簡潔に示すものです。
また、渋沢栄一が銀行制度の整備や創業を支援した銀行は第一国立銀行だけではありません。現在の七十七銀行も、その一つです。ただし、七十七銀行は第一国立銀行から名称変更してできた銀行ではなく、別の創業経緯を持つ金融機関です。
【設立理由】渋沢栄一はなぜ銀行をつくった?国立銀行条例の仕組み
第一国立銀行が生まれた背景には、明治政府が進めていた近代的な金融制度の整備があります。明治維新後の日本では、産業や商業を発展させるため、企業活動を支える金融機関と、安定した通貨・決済の仕組みを整えることが大きな課題でした。
渋沢栄一は大蔵省で金融制度の整備に携わり、1872年(明治5年)に制定された国立銀行条例の起草にも関与しました。その後、官僚から実業界へと活動の軸を移し、民間資本を活用した銀行の設立を主導します。
国立銀行条例は、銀行を設立し、一定の条件のもとで銀行券を発行できる制度を定めたものです。ここでいう「国立銀行」は、国が直接経営する銀行という意味ではありません。日本銀行の解説でも、条例に基づいて設立された民間銀行を指す名称であると説明されています。
当時の国立銀行は、民間の資本を集めて銀行業務を行うとともに、国立銀行券を発行する役割を担っていました。現在の銀行制度とは異なり、民間銀行が紙幣発行にも関与していた点が大きな特徴です。
1876年(明治9年)には国立銀行条例が改正され、銀行設立の動きがさらに広がりました。日本銀行の資料によると、1873年に開業した第一国立銀行から1879年までに、合計153行の国立銀行が設立されています。
渋沢栄一が銀行事業に取り組んだ理由は、銀行そのものを大きくすることだけではありません。商業や製造業が資金を調達し、企業間の取引を円滑に進められる金融基盤をつくることにありました。銀行を産業発展のための社会的な仕組みとして捉えていた点に、渋沢の考え方が表れています。
【創設の舞台裏】三井組・小野組と渋沢栄一の銀行事業
第一国立銀行の創設を理解するうえで欠かせないのが、三井組と小野組です。両者は当時の有力な商業組織であり、第一国立銀行の設立に深く関わりました。
渋沢栄一記念財団のデジタル版『渋沢栄一伝記資料』によると、1872年9月1日、三井組と小野組が協同で銀行を経営する方針が定まりました。両組はそれぞれ単独で銀行を設立したい意向を持っていましたが、渋沢は共同経営を実現するために調整を重ねました。
渋沢の役割は、銀行設立の許可を得ることだけではありません。経営体制や役員の選任、銀行業務の運営方法など、設立後の組織づくりにも関わっています。1873年6月の創立総会では、銀行の営業方法や役員の選任などを提案し、自ら総監役に就任しました。
第一国立銀行は同年7月20日に開業しました。日本銀行の「教えて!にちぎん」でも、これを日本で最初に開業した銀行としています。現在のみずほ銀行兜町支店がある東京都中央区日本橋兜町の場所が、当時の開業地として知られています。
その後、三井組と小野組を取り巻く経営環境は変化します。1874年には小野組が閉店し、三井組が第一国立銀行を自らの支配下に置こうとする動きも生じました。渋沢はこれに反対し、銀行が特定の商業組織に支配されないよう、経営体制の見直しに取り組みました。
こうした経緯から、渋沢栄一の銀行事業は単なる資金集めではなかったことが分かります。異なる利害を持つ出資者をまとめ、民間銀行として持続的に経営できる組織をつくることも、創設者としての重要な仕事でした。
渋沢栄一は1875年(明治8年)8月1日、第一国立銀行の頭取に就任しました。創設準備を担った総監役から経営の責任者へと役割を移し、銀行業務の整備や発展を主導していきます。
【年表】第一国立銀行から第一銀行、第一勧業銀行、みずほ銀行への変遷
第一国立銀行の歴史は、名称が変わっただけではありません。株式会社への改組、他行との合併、戦後の再編、金融グループの統合という複数の段階を経ています。みずほフィナンシャルグループの公式沿革と渋沢栄一記念財団の変遷資料をもとに、主要な節目をまとめました。
| 年 | 銀行の名称・出来事 | 歴史上のポイント |
|---|---|---|
| 1872年 | 国立銀行条例の制定 | 民間銀行の設立と国立銀行券の発行を支える制度が整えられた。 |
| 1873年 | 第一国立銀行が開業 | 渋沢栄一が創設を主導。7月20日に営業を開始した。 |
| 1875年 | 渋沢栄一が頭取に就任 | 銀行経営の責任者として、組織や営業の整備を進めた。 |
| 1896年 | 株式会社第一銀行へ改組 | 国立銀行としての営業期間を終え、株式会社として営業を継続した。 |
| 1943年 | 帝国銀行が発足 | 第一銀行と三井銀行が合併し、帝国銀行となった。 |
| 1948年 | 株式会社第一銀行が再発足 | 帝国銀行の分離により、第一銀行が再び独立した銀行となった。 |
| 1971年 | 第一勧業銀行が発足 | 第一銀行と日本勧業銀行が合併した。 |
| 1999年 | 3行による全面統合の契約 | 第一勧業銀行、富士銀行、日本興業銀行が経営統合に向けて合意した。 |
| 2002年 | みずほ銀行・みずほコーポレート銀行が発足 | 3行の統合・再編によって、みずほグループの銀行体制が整えられた。 |
| 2013年 | 現在のみずほ銀行が発足 | 旧みずほ銀行とみずほコーポレート銀行が合併した。 |
この年表で特に重要なのは、1896年、1971年、2002年、2013年の4つの節目です。
1896年9月26日、第一国立銀行は株式会社第一銀行へと改組され、第一国立銀行の権利義務を継承して営業を開始しました。これにより、「第一国立銀行」という名称は歴史の中で役割を終えますが、銀行の系譜は引き継がれました。
1971年10月には第一銀行と日本勧業銀行が合併し、第一勧業銀行が発足します。日本勧業銀行は、農業・工業の振興を目的として1897年に設立された別の銀行です。第一勧業銀行は、第一銀行の流れと日本勧業銀行の流れが合流して誕生した金融機関でした。
加えて、1999年には第一勧業銀行、富士銀行、日本興業銀行の3行が全面統合に向けた契約を締結。2002年には、みずほ銀行とみずほコーポレート銀行を中心とする体制へ再編されました。
2013年には、旧みずほ銀行とみずほコーポレート銀行が合併し、現在のみずほ銀行が発足しています。したがって、第一国立銀行からみずほ銀行までの歴史は、単純な改名ではなく、複数の銀行の系譜が合流していった過程なのです。
【もう一つの縁】七十七銀行と渋沢栄一はどんな関係だった?
渋沢栄一が関係した銀行として、第一国立銀行と並んで注目したいのが、宮城県仙台市に本店を置く七十七銀行です。七十七銀行の公式資料によると、前身である第七十七国立銀行は1878年12月に営業を開始しました。
当時の宮城県には、地域に基盤を置く銀行がほとんどなく、第一国立銀行や三井銀行の出張所が金融業務を担っていました。地元の産物の現金化や納税などを円滑に進めるには、地域の事情に精通した銀行が必要とされていたのです。
七十七銀行の公式解説によれば、渋沢栄一は第七十七国立銀行の設立に際し、銀行業の運営に関する助言や出資などを通じて支援しました。第一国立銀行から人材を派遣し、宮城県内で担っていた業務を第七十七国立銀行へ引き継ぐなど、創業を多方面から支えています。
その後も渋沢は七十七銀行との関係を保ち、1909年には相談役に就任しました。1917年には東北振興会会長として東北地方を巡回し、地域経済の発展について講演しています。
七十七銀行の公式解説では、渋沢が仙台での講演において「銀行の発展は実業の隆盛があってこそ」という考えを示したことも紹介されています。銀行の成長は、取引先となる企業や地域産業の発展と切り離せないという考え方です。
ここで注意したいのは、七十七銀行とみずほ銀行の関係です。どちらも渋沢栄一と縁がありますが、同じ銀行の名称変更によって生まれたものではありません。第一国立銀行の系譜を継ぐみずほ銀行と、渋沢の支援を受けて創業した七十七銀行は、それぞれ異なる歴史を持っています。
【誤解を整理】渋沢栄一の銀行を調べるときに知っておきたい3つの事実
「渋沢栄一銀行」という検索語には、人物名と銀行名が結びついた情報を探したいという意図があります。しかし、歴史的な銀行名と現在の金融機関名を混同すると、系譜を誤って理解するおそれがあります。
誤解1:第一国立銀行は国が運営していた銀行だった。
「国立」という言葉から国営銀行を想像しがちですが、第一国立銀行は国立銀行条例に基づく民間銀行でした。国から銀行券の発行権限を与えられた点が、当時の一般的な私立銀行との大きな違いです。日本銀行は1882年に創立され、1885年に最初の日本銀行券を発行しました。それ以前の金融制度は、現在とは仕組みが異なっていました。
誤解2:第一国立銀行は名前を変えただけで、現在のみずほ銀行になった。
第一国立銀行から株式会社第一銀行への改組、1943年の帝国銀行への合併、1948年の第一銀行の再発足、1971年の第一勧業銀行の発足、2002年と2013年の再編を経ています。第一国立銀行は、複数の合併・再編を通じて現在のみずほ銀行につながっています。
誤解3:渋沢栄一と関係する銀行は、すべて同じ系列である。
渋沢は第一国立銀行の創設を主導したほか、七十七銀行の創業支援や、日本勧業銀行、日本興業銀行の設立にも関わりました。しかし、創設を主導した銀行、設立を支援した銀行、後年の合併で同じ金融グループに入った銀行では、関係の性質が異なります。
銀行の歴史を調べる際には、①創業時の名称、②渋沢栄一が担った役割、③合併・改組の経緯、④現在の承継先という4点を分けて確認するのが有効です。これらを整理すれば、歴史上の人物と現代の金融機関との関係を、より正確に理解できます。
【プロの結論】渋沢栄一の銀行事業から見える、金融と産業のつながり
渋沢栄一の銀行事業を振り返ると、特に重要なのは、銀行を単独で利益を上げる組織としてだけではなく、企業活動や地域社会を支える基盤として捉えていた点です。
第一国立銀行の創設では、三井組と小野組という異なる利害を持つ組織をまとめ、民間銀行としての経営体制を整えました。その後も預金制度や為替業務などの改善を進め、銀行業務の発展に取り組んでいます。
七十七銀行との関係にも、同じ考え方が表れています。地域の産業や商業を支える銀行がなければ、地域経済の発展も難しくなります。渋沢は地方銀行の創業を支援し、人材や経営上の知見を提供することで、金融の基盤を各地へ広げようとしました。
現在のみずほ銀行につながる系譜も、こうした近代金融の発展の中で形成されました。第一銀行と日本勧業銀行の合併、さらに富士銀行・日本興業銀行との統合を経て、複数の歴史を持つ金融機関が一つのグループへと集約されています。
渋沢栄一の銀行事業を理解する際に、単に「どの銀行が現在の何銀行なのか」を覚えるだけでは十分ではありません。銀行制度がどのように整備され、誰が資金を出し、どのような経営体制が築かれ、産業や地域に何をもたらしたのか。その流れを追うことで、第一国立銀行の歴史的な意味が見えてきます。
【渋沢栄一銀行】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:渋沢栄一が設立した銀行は現在どこですか?
A1:渋沢栄一が創設を主導した第一国立銀行は、株式会社第一銀行、第一勧業銀行などを経て、現在のみずほ銀行につながっています。途中には合併や組織再編があるため、単純な名称変更ではありません。
Q2:第一国立銀行はいつ設立され、渋沢栄一はいつ頭取になりましたか?
A2:第一国立銀行は1873年(明治6年)に開業し、渋沢栄一は1875年(明治8年)8月1日に頭取に就任しました。開業日は1873年7月20日です。
Q3:第一国立銀行とみずほ銀行は同じ銀行ですか?
A3:歴史的な系譜ではつながっていますが、同じ名称や組織のまま存続してきたわけではありません。第一銀行、第一勧業銀行、2002年の銀行再編、2013年の合併などを経て、現在のみずほ銀行に至ります。
Q4:七十七銀行も渋沢栄一が設立した銀行ですか?
A4:七十七銀行の前身である第七十七国立銀行は1878年に開業しました。渋沢栄一は設立時の助言や出資、人材面などで創業を支援し、後年には相談役も務めています。ただし、第一国立銀行から名称変更してできた銀行ではありません。
Q5:国立銀行条例の「国立」は、国営という意味ですか?
A5:いいえ。国立銀行条例に基づく民間銀行を指します。当時の国立銀行には銀行券を発行する権限が与えられていましたが、国が直接運営する銀行という意味ではありません。
「渋沢栄一銀行」という検索の答えを一言で1873年の開業、1875年の渋沢栄一の頭取就任、1896年の株式会社第一銀行への改組、1971年の第一勧業銀行の発足、そして2002年・2013年の再編が、現在へと続く主な節目となります。
一方、七十七銀行も渋沢栄一が創業を支援した銀行であり、地方金融の発展という別の側面から、その功績を今に伝えています。第一国立銀行から続く銀行の系譜と、渋沢が設立を支援した銀行の広がりを区別して理解することが、歴史を正確に読み解くポイントです。
みずほフィナンシャルグループの公式沿革、日本銀行の金融史解説、渋沢栄一記念財団の伝記資料、七十七銀行の公式資料を照らし合わせると、渋沢栄一の功績は一つの銀行の創設にとどまりません。近代的な銀行制度を整え、民間資本を産業に結びつけ、地域の金融基盤づくりにも尽力したことに、その歴史的な意義があります。