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孝乃富士とは?安田忠夫の四股名変遷・成績・小結昇進と2026年の訃報を徹底解説

黒瀬 七海 黒瀬 七海 • 更新: • 公開: • 読了約 13 分
目次

孝乃富士(たかのふじ)は、元大相撲力士の安田忠夫が現役時代に名乗った四股名です。九重部屋で力を磨き、1986年5月場所に新入幕。1990年7月場所には最高位の小結に昇進し、幕内で存在感を示しました。

安田忠夫は、相撲界を離れた後もプロレスや総合格闘技で活躍した異色の経歴の持ち主です。2026年2月8日に62歳で亡くなったことが報じられ、改めて力士時代の実績にも関心が集まっています。ここでは、安田・富士の森・孝乃富士という四股名の変遷、得意とされた左四つ、通算成績、引退後の歩みを整理します。

【孝乃富士とは?】読み方・本名・最高位をわかりやすく解説

孝乃富士

孝乃富士は「たかのふじ」と読みます。フルネームは孝乃富士忠雄(たかのふじ・ただお)。本名の安田忠夫としても知られ、東京都大田区出身、九重部屋所属の元力士です。

1963年10月9日生まれで、1979年3月場所に初土俵を踏みました。最高位は小結。身長192センチ、体重143キロとする力士データも残されており、長身と懐の深さを生かした相撲が特徴でした。

孝乃富士の名前が検索される理由は、単に幕内で活躍した力士だからではありません。相撲引退後に安田忠夫の本名でプロレスに転向し、2001年には総合格闘技の大舞台でも勝利を挙げたためです。相撲ファンとプロレスファンの双方に記憶される人物であり、競技ごとに異なる名前で活動した経歴が、検索時の混同につながっています。

なお、孝乃富士は横綱や大関には昇進していません。最高位は三役の小結で、三役在位は1場所です。一方、横綱から金星を2個獲得し、三賞の敢闘賞も受賞しています。最高位だけでなく、幕内で残した実績を併せて見ることが人物像を理解するポイントです。

【四股名の変遷】安田から富士の森、1984年3月場所に孝乃富士へ

孝乃富士の四股名は、入門当初から一貫していたわけではありません。相撲録の力士履歴や、大相撲のはてなに効く!が整理する番付記録によると、安田から富士の森、そして孝乃富士へと改名しています。

特に重要なのが1984年3月場所です。この場所から「孝乃富士忠雄」を名乗るようになりました。検索で「孝乃富士 1984年3月場所」と調べる人が確認したいのは、まさにこの改名の節目です。

時期 四股名・出来事 経歴上の意味
1979年3月場所 安田忠夫として初土俵 九重部屋で力士生活をスタート
1980年3月場所 富士の森忠夫に改名 2番目の四股名を名乗る
1984年3月場所 孝乃富士忠雄に改名 引退まで使用する四股名となる
1985年3月場所 新十両 関取としての地位を獲得
1986年5月場所 新入幕 幕内力士として本格的に活躍
1990年5月場所 11勝4敗、敢闘賞を受賞 幕内での代表的な好成績
1990年7月場所 小結に昇進 現役最高位に到達
1992年5月場所 現役最後の場所 十両で4勝11敗を記録し、力士を引退

この年表から分かるのは、孝乃富士という名前が使われた期間は1984年3月場所から1992年5月場所までの約8年間だったということです。改名前の富士の森も同一人物であり、別の力士ではありません。

また、1985年3月場所の新十両から1986年5月場所の新入幕までは約1年2か月です。四股名が定着した時期と、関取として昇進していった時期を分けて理解すると、経歴を時系列で追いやすくなります。

【新入幕から小結へ】孝乃富士の力士時代と主な実績

孝乃富士が幕内に上がったのは1986年5月場所です。当時22歳。新入幕後は幕内で土俵を重ね、1990年5月場所には11勝4敗の好成績を挙げて敢闘賞を受賞しました。この活躍が、同年7月場所の小結昇進につながります。

小結は、前頭より上に位置する三役の一つです。横綱や大関を目指す力士にとって重要な地位ですが、昇進すれば必ず定着できるわけではありません。孝乃富士は小結として迎えた1990年7月場所で2勝13敗となり、三役在位はこの1場所にとどまりました。

ただし、最高位への到達だけが評価の基準ではありません。孝乃富士は横綱・双羽黒との対戦で2個の金星を獲得しています。金星とは、平幕力士が横綱を破った際に記録される殊勲です。三役経験が短くても、横綱を倒した実績は幕内での戦歴を語るうえで欠かせません。

同世代には北勝海、双羽黒、寺尾、琴ヶ梅らがいました。1963年生まれの力士を指す「花のサンパチ組」と呼ばれる世代です。強い個性を持つ力士がひしめく時代に、孝乃富士も幕内上位を経験し、金星と三賞を残しました。

一方、現役最後の1992年5月場所では東十両10枚目で4勝11敗。幕内から十両へ番付を下げた後、同場所を最後に土俵を去りました。1979年3月の初土俵から1992年5月の引退まで、約13年2か月にわたる力士生活でした。

【得意技は左四つ?】立合いの課題と通算成績を分析

孝乃富士の相撲を語る際に挙げられるのが、懐の深さと四つに組んでからの攻めです。人物紹介では、胸を合わせた左四つを得意としていたと説明されています。一方、戦歴を解説する資料では、右上手を取った際の強さにも触れられています。いずれも、組み合ってから相手を制する力を評価したものです。

対照的に、課題として指摘されていたのが立合いでした。立合いとは、取組の開始時に両力士が呼吸を合わせてぶつかる動作です。ここで相手に先手を取られると、懐の深さや四つ相撲の強みを発揮する前に不利な体勢になる場合があります。

つまり、孝乃富士の相撲は、組んでからの強さと、組むまでの攻防を分けて考えると理解しやすくなります。得意な形に持ち込めれば持ち味を生かせる一方、立合いで後手に回ることが幕内上位での戦いを難しくする要因になったと考えられます。

大相撲記録系のデータベースやRikishi-Manの決まり手集計では、孝乃富士の主な勝ち決まり手として寄り切りが最も多く、叩き込みや突き落としも記録されています。寄り切りが最多という数字は、組んで前に出る相撲が勝ち星につながっていたことを示す材料です。

通算成績を確認する際は、全体の成績と幕内だけの成績を分けて見る必要があります。孝乃富士の主要な記録は次のとおりです。

  • 通算成績:418勝459敗4休、80場所
  • 幕内成績:212勝281敗2休、33場所
  • 最高位:小結
  • 三賞:敢闘賞1回
  • 金星:2個
  • 幕内優勝:なし

勝ち星だけを見ると負け越しが上回りますが、幕内で33場所を務め、小結まで昇進し、敢闘賞と金星を獲得した点は評価すべき実績です。大相撲の記録を読む際は、通算勝敗だけでなく、番付、幕内在位、三賞、金星を組み合わせて見ることで、その力士が残した足跡をより正確に把握できます。

【安田忠夫の現在】相撲引退後のプロレス転向と2026年の訃報

孝乃富士は1992年5月場所を最後に力士を引退しました。その後、本名の安田忠夫として新たな競技人生を歩みます。1993年6月に新日本プロレスへ入門し、1994年2月24日に日本武道館で馳浩を相手にプロレスデビューを果たしました。

大相撲で培った体格と格闘技経験を背景に、安田はプロレスでも活動を続けました。転機となったのが2001年12月31日の「INOKI BOM-BA-YE 2001」です。総合格闘技に挑戦した安田は、K-1の強豪ジェロム・レ・バンナに勝利。予想を覆す結果として大きな話題を呼びました。

さらに2002年2月16日には、IWGPヘビー級王座決定トーナメント決勝で永田裕志を破り、同王座を初戴冠しています。2005年に新日本プロレスを退団した後も複数の団体に参戦し、2011年2月4日に後楽園ホールで引退記念興行を行いました。

引退後はタレント活動などにも取り組み、晩年は警備員などの仕事に就いていたとTBS NEWS DIGなどが報じています。相撲の小結からプロレスの王座獲得、総合格闘技での勝利へと続いた経歴は、競技の枠を越えて活動した人物としての特徴をよく表しています。

安田忠夫は2026年2月8日に62歳で亡くなりました。2月10日にはテレ朝NEWSやオリコンニュースなどが訃報を伝え、新日本プロレスの公式サイトを通じた追悼も報じられました。したがって、2026年10月現在、「安田忠夫は現在どうしているのか」という疑問への答えは、すでに亡くなっているということになります。

なお、報道で使われる「安田忠夫」は本名およびプロレスラーとしての名前であり、相撲時代の「孝乃富士」と同じ人物です。両者を別人として扱うと、相撲からプロレスへと続く経歴を正しく追えなくなります。

【プロの結論】孝乃富士の記録を調べるときに注意したい3つのポイント

孝乃富士の経歴を正確に理解するためには、名前・時期・成績の3点を押さえることが大切です。検索結果には、現役力士の情報や、同じ「富士」を含む別の四股名が表示されることがあるためです。

第一に、四股名と本名を対応させること。孝乃富士、富士の森、安田忠夫は同一人物の異なる時期・活動で使われた名前です。力士情報を調べる際は、「孝乃富士忠雄」「たかのふじ ただお」「安田忠夫」の表記を照合すると、関連記録を追いやすくなります。

第二に、似た名前の力士と区別すること。たとえば「貴ノ富士」は、かつて別の力士が名乗った四股名です。また、現在の日本相撲協会の力士プロフィールに掲載される「幸乃富士(さちのふじ)」も別人です。「孝」「貴」「幸」という漢字の違いと読み方を確認するだけで、別人のプロフィールや成績を誤って結び付けるリスクを減らせます。

第三に、成績の集計範囲を確認すること。通算418勝459敗4休という数字は、全80場所の成績です。幕内だけでは212勝281敗2休、33場所となります。最高位や金星、三賞も含めて評価することで、単純な勝ち負けだけでは見えない実績が浮かび上がります。

力士情報を探す際には、大相撲.jpや大相撲記録系のデータベース、相撲録などの履歴情報を手掛かりにし、番付推移と各場所の星取表を照合すると便利です。引退力士の記録と現役力士のプロフィールは掲載内容が異なるため、対象者の現役期間に合った資料を選ぶことが、調査の精度を高めます。

【孝乃富士】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:孝乃富士の読み方は何ですか? A1:孝乃富士は「たかのふじ」と読みます。フルネームは孝乃富士忠雄で、本名は安田忠夫です。

Q2:孝乃富士はいつ安田から改名しましたか? A2:1980年3月場所に富士の森へ改名し、1984年3月場所から孝乃富士を名乗りました。1992年5月場所まで、この四股名で土俵に上がっています。

Q3:孝乃富士の新入幕と最高位はいつですか? A3:1986年5月場所に新入幕を果たし、1990年7月場所に最高位の小結へ昇進しました。三役在位は1場所です。

Q4:孝乃富士の通算成績と得意技は? A4:通算418勝459敗4休、80場所です。左四つを得意としたと紹介され、懐の深さを生かした相撲が特徴でした。立合いを課題として指摘する解説もあります。

Q5:安田忠夫は現在も存命ですか? A5:いいえ。安田忠夫さんは2026年2月8日に62歳で亡くなったと報じられています。相撲引退後はプロレスや総合格闘技でも活躍しました。

孝乃富士は、安田忠夫が大相撲の九重部屋で名乗った四股名です。安田から富士の森を経て1984年3月場所に孝乃富士へ改名し、1986年5月場所に新入幕。1990年には敢闘賞を獲得して小結に昇進し、横綱・双羽黒から金星2個を挙げました。

通算成績は418勝459敗4休。左四つや懐の深さを生かす相撲で幕内を戦い、1992年5月場所に現役を引退しました。その後は安田忠夫としてプロレスや総合格闘技に進み、ジェロム・レ・バンナ戦の勝利やIWGPヘビー級王座獲得など、相撲とは異なる舞台でも実績を残しています。

2026年2月の訃報を受け、改めて注目される孝乃富士の歩み。四股名の変遷、番付、通算成績、引退後の活動を分けて整理すれば、相撲力士としての実績と安田忠夫という人物の幅広い経歴を混同せずに理解できます。

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黒瀬 七海

スマホと家電のレビューを6年。スペックはメーカー公式の仕様表、価格は販売店の表示を基準にしています。

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