歌舞伎役者の「市川男女蔵」は、「いちかわ おめぞう」と読み、江戸時代から受け継がれてきた名跡です。2026年現在の当代は、1967年10月9日生まれの六代目市川男女蔵。父は四代目市川左團次で、幼少期から舞台経験を積み、2003年に現在の名を襲名しました。
この名跡を調べる際に押さえておきたいのが、歴代の襲名と市川左團次との深い関係です。四代目市川男女蔵が三代目市川左團次を襲名したことをきっかけに、男女蔵は左團次へと続く襲名の前段階としても位置づけられるようになりました。屋号の「瀧野屋」と「高島屋」の違い、初代から当代までの系譜を整理すると、歌舞伎の名跡が持つ独特の仕組みが見えてきます。
【読み方と経歴】市川男女蔵とは?当代のプロフィール

市川男女蔵は、歌舞伎役者が代々受け継ぐ「名跡」の一つです。読み方は「いちかわ おめぞう」。漢字から「だんじょぞう」と読みたくなるところですが、歌舞伎では独特の読み方が定着しています。
日本俳優協会・伝統歌舞伎保存会の「歌舞伎俳優名鑑」によると、現在の当代は六代目市川男女蔵です。1967年10月9日生まれで、2026年10月26日時点では59歳。父は四代目市川左團次で、左團次家と男女蔵家の両方に連なる人物です。
当代の芸歴は、幼少期から始まっています。1973年1月、歌舞伎座の『酒屋』で娘おつうを演じて初お目見得。翌1974年2月には六代目市川男寅を名乗って初舞台を踏み、2003年5月、歌舞伎座の『暫』で成田五郎などを演じ、六代目市川男女蔵を襲名しました。
当代の芸風を知るうえでは、古典歌舞伎と新作歌舞伎の両方に目を向ける必要があります。俳優名鑑では、『暫』『女暫』の成田五郎や、『助六』の朝顔仙平といった古典の役に加え、新作歌舞伎『月光露針路日本』の水主・小市、『ワンピース』の監獄署長マゼランなども紹介されています。
2005年には重要無形文化財の総合認定を受け、伝統歌舞伎保存会の会員となりました。長年の舞台経験を重ねながら、古典の型を受け継ぎ、新作にも取り組む現役の歌舞伎俳優です。
【歴代一覧】初代市川男女蔵から六代目までの襲名系譜
市川男女蔵の歴史を理解するには、代数だけでなく、それぞれの役者がどの名を経て、どの名跡へ移ったのかを見ることが大切です。文化デジタルライブラリー、コトバンク収録の人物事典、日本俳優協会の「歌舞伎俳優名鑑」を手掛かりに整理すると、江戸後期から現代までの大きな流れが分かります。
| 代 | 生没年・主な経歴 | 襲名のポイント |
|---|---|---|
| 初代 | 1781~1833年。二代目市川門之助の長男。五代目市川團十郎の門下。 | 初名は市川弁之助。1789年に男女蔵を名乗り、立役として活躍。 |
| 二代目 | 生没年不詳。中山金蔵などを名乗った江戸後期の歌舞伎役者。 | 1824年に二代目男女蔵を襲名。資料によって小谷屋の屋号も伝わる。 |
| 三代目 | 生没年不詳。二代目の子。榊山金蔵、尾上菊十郎、尾上新七などを名乗る。 | 1856年に三代目男女蔵を襲名。旅芝居や大坂の浜芝居などで活動。 |
| 四代目 | 1898~1969年。市川男寅を経て男女蔵を襲名。 | 1917年に四代目男女蔵、1952年5月に三代目市川左團次を襲名。 |
| 五代目 | 1940~2023年。四代目左團次の長男。 | 1947年に五代目男寅、1962年に五代目男女蔵、1979年に四代目左團次を襲名。 |
| 六代目 | 1967年生まれ。当代。五代目男女蔵を名乗った父の長男。 | 1974年に六代目男寅として初舞台。2003年5月に六代目男女蔵を襲名。 |
この一覧で特に注意したいのは、五代目市川男女蔵と六代目市川男女蔵は別人だという点です。五代目は1940年生まれで、後に四代目市川左團次となり、2023年4月15日に亡くなりました。1967年生まれの当代は、その長男である六代目です。
初代市川男女蔵の生涯にも、名跡の出発点として注目すべき点があります。コトバンク収録の「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」によると、初代は1781年生まれで、五代目市川團十郎に入門し、寛政元年(1789年)に男女蔵を名乗りました。立役を得意とし、1804年には江戸・市村座の『四紅葉思恋深川』で白藤源太を演じて評判を得たとされています。1833年に亡くなり、享年は53歳と記録されています。
一方、二代目・三代目については、現代の俳優のように生没年や襲名公演の記録が一貫して残っているわけではありません。二代目は中山金蔵などの名で活動し、三代目は尾上菊十郎、三代目尾上新七などを経て男女蔵を襲名しました。こうした複数の芸名をたどること自体が、歌舞伎の名跡を調べる際の重要な手掛かりになります。
【左團次との関係】四代目男女蔵が三代目左團次を襲名した経緯
市川男女蔵の歴史を大きく変えたのが、四代目市川男女蔵による三代目市川左團次の襲名です。この出来事によって、男女蔵と左團次は、それぞれ独立した名跡でありながら、襲名の順序と家系の両面で深く結びつくようになりました。
四代目市川男女蔵は、1898年生まれの歌舞伎俳優です。1902年に四代目市川男寅を名乗り、1917年4月に四代目男女蔵を襲名。六代目尾上菊五郎の薫陶を受け、立役と女方の双方を務めながら、菊五郎一座を支えました。
その後、二代目市川左團次の未亡人から求められたことを受け、1952年5月に三代目市川左團次を襲名します。文化デジタルライブラリーの人物履歴でも、四代目男女蔵の名を1952年4月まで名乗り、同年5月から三代目左團次となった経歴が記録されています。
この襲名が意味するのは、単に一人の役者が名前を変えたということではありません。男女蔵の名跡を継いだ役者が左團次を名乗ることで、男女蔵が左團次へつながる襲名の前段階として位置づけられるようになったのです。
この流れは、四代目左團次にも受け継がれます。三代目左團次の長男は、1947年に五代目市川男寅として初舞台を踏み、1962年に五代目市川男女蔵、1979年に四代目市川左團次を襲名しました。つまり、父が三代目左團次、息子が五代目男女蔵を経て四代目左團次となったわけです。
そして、四代目左團次の長男である当代は、六代目市川男寅として舞台に立った後、2003年に六代目男女蔵を襲名しました。このため、男女蔵と左團次の関係を理解する際は、代数を単純に並べるだけでは不十分です。男女蔵を名乗った後に左團次へ進む襲名の流れと、親子関係を組み合わせて見ることが、系譜を読み解く鍵になります。
【屋号と定紋】瀧野屋・小谷屋・隅切り角に一葉紅葉の違い
市川男女蔵の屋号は、一般に「滝野屋」と表記されます。「瀧野屋」は同じ屋号の旧字体による表記です。日本俳優協会の「歌舞伎俳優名鑑」では、当代の六代目市川男女蔵の屋号を滝野屋、定紋を「隅切り角に一葉紅葉」としています。
屋号とは、歌舞伎役者の家や一門を示す呼称です。舞台上の名跡とは役割が異なり、同じ市川姓であっても、どの家に属するかによって屋号が変わることがあります。歌舞伎の掛け声で「屋号」が使われるのも、役者を家や一門と結びつけて認識する伝統があるためです。
男女蔵の歴代には、小谷屋という屋号を記す資料もあります。特に二代目については、小谷屋の名が伝わっています。ただし、現在の男女蔵家の屋号として俳優名鑑に掲載されているのは滝野屋です。歴史上の各代に関する屋号の記録と、現在の家の屋号は分けて考える必要があります。
定紋にも歴史的な変化があります。伝承上、初代から三代目までは「三升の中に男」、四代目以降は「隅切り角に一葉紅葉(すみきりかくにひとつはもみじ)」が定紋として用いられています。現在の当代が用いるのも、後者の紋です。
ここで押さえたいのは、名跡・屋号・定紋がそれぞれ別の情報を示していることです。名跡は役者が襲名する名前、屋号は家や一門の呼称、定紋はその家を象徴する紋です。男女蔵から左團次への襲名によって屋号が変わる歴史を理解するには、この三つを混同しないことが大切です。
【2026年最新】市川男女蔵の現在と舞台での活躍
2026年現在、六代目市川男女蔵は、古典歌舞伎と新作歌舞伎の双方で経験を積んできた現役俳優です。日本俳優協会・伝統歌舞伎保存会の俳優名鑑では、六代目男女蔵として紹介され、屋号は滝野屋、定紋は隅切り角に一葉紅葉と記載されています。
2026年秋の舞台活動としては、京都市公式観光Naviが案内した「市川團十郎 特別公演」があります。京都・南座で10月3日から25日まで開催された同公演では、昼の部の『鞘當』に留女役で出演しました。2026年10月26日時点では、案内されていた公演期間は終了しています。
これまでの出演歴を見ると、男女蔵の持ち味は一つの役柄だけに限定されません。『暫』や『女暫』の成田五郎、『助六』の朝顔仙平といった古典の役では、江戸歌舞伎の様式や人物造形が大切です。一方、『ワンピース』のマゼランや『月光露針路日本』の小市のような新作では、作品ごとに異なる人物像を表現する力が必要です。
歌舞伎俳優名鑑の紹介でも、古典と新作の双方に取り組む姿が取り上げられています。これは、代々の名跡を継ぐことが、過去の芸をそのまま再現するだけではないことを示しています。伝統的な型を身につけながら、上演作品や役柄の幅を広げていくことも、当代の芸歴を考えるうえで重要です。
なお、五代目男女蔵は2023年に亡くなっており、2026年現在の男女蔵は六代目です。四代目左團次を父に持つという家系上の位置づけと、現在舞台で名乗っている六代目男女蔵という名跡を区別して理解する必要があります。
【名跡の由来とよくある誤解】男女蔵・男寅・左團次はどう違う?
市川男女蔵について調べる際に混乱しやすいのが、「男女蔵」「男寅」「左團次」という三つの名前です。これらは同じ人物が芸歴のなかで順に名乗ることがある一方、それぞれ独立した名跡でもあります。
男寅は「おとら」と読み、男女蔵は「おめぞう」と読みます。当代も、1974年に六代目男寅を名乗って初舞台を踏み、2003年に六代目男女蔵を襲名しました。父も五代目男寅、五代目男女蔵、四代目左團次の順に名を変えています。
このように、男寅から男女蔵へ、さらに左團次へと進む襲名の流れが、家の歴史のなかで繰り返されてきました。ただし、すべての役者が同じ段階を経るとは限らず、名跡の継承はそれぞれの時代の事情や家の系譜に基づいて行われます。
また、「市川男女蔵」という名前そのものの語源と、歴代の役者がこの名を継いできた経緯は、分けて考える必要があります。辞典や俳優名鑑では、読み方、歴代の襲名、役者の経歴が確認できますが、漢字の組み合わせに込められた命名理由まで詳しく説明されているわけではありません。現時点では、名跡としての歴史と襲名の順序を押さえることが、名前を正しく理解するための確かな手掛かりです。
もう一つの誤解は、男女蔵と左團次が同じ屋号を持つと思われがちな点です。男女蔵家の屋号は滝野屋、左團次家の屋号は高島屋です。四代目男女蔵が三代目左團次を襲名した後も、男女蔵と左團次の名跡がそれぞれの屋号と結びついて受け継がれてきたため、親子であっても名乗る名前によって屋号が異なります。
したがって、歴代の系譜を確認するときは、名前の代数だけで判断せず、襲名前の名、襲名した年、屋号、親子関係を合わせて見るのが適切です。
【市川男女蔵】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:市川男女蔵の読み方は?
A1:「いちかわ おめぞう」です。「男女」を「だんじょ」と読むのではなく、歌舞伎の名跡として独特の読み方をします。
Q2:2026年現在の市川男女蔵は五代目ですか?
A2:いいえ、当代は六代目市川男女蔵です。五代目は1940年生まれで、後に四代目市川左團次を襲名した人物です。当代はその長男で、1967年生まれです。
Q3:市川男女蔵と市川左團次の関係は?
A3:四代目市川男女蔵が1952年に三代目市川左團次を襲名したことから、両名跡は深く結びついています。その後、五代目男女蔵も四代目左團次となりました。当代の六代目男女蔵は、四代目左團次の長男です。
市川男女蔵は「いちかわ おめぞう」と読み、2026年現在の当代は六代目です。1781年生まれの初代から江戸・明治・昭和を経て、現代まで受け継がれてきた名跡であり、その歴史には男寅から男女蔵、さらに左團次へと進む襲名の流れが深く関わっています。
特に重要なのは、四代目男女蔵が1952年に三代目左團次を襲名した経緯と、五代目男女蔵も後に四代目左團次となった点です。これにより、男女蔵と左團次は親子関係と襲名の順序の両面で結びつき、異なる屋号を持ちながら一つの系譜を形づくってきました。
屋号は滝野屋(瀧野屋とも表記)、定紋は隅切り角に一葉紅葉。歴代の襲名を調べるときは、代数だけでなく、名乗った時期や屋号、親子関係まで照らし合わせることが大切です。そうすることで、市川男女蔵という名跡の歴史と、歌舞伎における襲名の仕組みをより正確に理解できます。