俳優・歌手・司会者として昭和から平成にかけて幅広く活躍した高島忠夫さん。妻の寿美花代さんは宝塚歌劇団の元トップスターで、2人は料理番組『ごちそうさま』などで長年共演し、芸能界を代表するおしどり夫婦として親しまれました。しかし、その明るい家庭には、生後5か月の長男・道夫さんを亡くすという痛ましい事件や、高島さんのうつ病との闘いなど、深い苦難もありました。
2026年10月現在、夫妻はともに故人です。高島さんは2019年6月26日に88歳で亡くなり、寿美さんも2026年8月3日に94歳で老衰のため亡くなりました。この記事では、2人の出会いと1963年の結婚、長男殺害事件の経緯、家族構成、晩年の夫婦生活までを、所属事務所の発表や報道、番組資料などをもとに整理します。
【出会いから結婚へ】高島忠夫と寿美花代はどのように夫婦になったのか

高島忠夫さんと寿美花代さんの出会いは、芸能界での仕事がきっかけでした。高島さんは俳優、歌手、司会者として活動し、寿美さんは宝塚歌劇団の星組男役トップスターとして人気を集めていました。それぞれ異なる分野で活躍していた2人が、舞台での共演を通じて距離を縮めていきます。
出会いのきっかけは1962年の舞台共演2人が知り合ったのは、1962年に東宝創立30周年記念公演として上演されたミュージカル『君にも金儲けができる』です。舞台で共演したことが、交際につながりました。
寿美さんは1948年に宝塚歌劇団へ入団し、星組の男役トップスターとして活躍。1960年には代表作の一つ『華麗なる千拍子』で芸術祭賞を受賞しています。1963年には退団し、同年に高島さんと結婚しました。これらの経歴は、所属事務所の東宝芸能が公開していた公式プロフィールにも記載されています。
2人は舞台で知り合ってから約2年間交際し、1963年に結婚しました。結婚当時、高島さんは映画やテレビで活動する俳優として、寿美さんは宝塚のスターから新たな芸能活動へ進む存在として、それぞれ注目されていました。
寿美花代からのプロポーズだったと伝えられる夫婦の始まり2026年8月の寿美さんの訃報を受けたテレビ番組の追悼報道では、生前のインタビューで、寿美さんが自ら結婚を申し込んだと振り返っていたことも紹介されました。相手を深く思い、結婚を決意した寿美さんの姿は、2人の関係を知るうえで印象的なエピソードです。
結婚後の2人は、家庭生活だけでなく仕事でも長く協力し合いました。夫婦が一緒に出演する機会が多かったことは、視聴者が2人の関係を身近に感じる大きな要因になりました。
【年表で整理】『ごちそうさま』でのおしどり夫婦ぶりと家族の歴史
高島忠夫夫妻がおしどり夫婦として知られた理由の一つは、長年にわたって夫婦でテレビ番組の司会を務めたことです。特に日本テレビ系の料理番組『ごちそうさま』は、2人の名前と人柄を幅広い視聴者に浸透させました。
東宝芸能の公式プロフィールによると、同番組は夫婦で司会を務め、26年にわたって続いた人気番組でした。高島さんの明るくテンポのよい話しぶりと、寿美さんの落ち着いた雰囲気が組み合わさり、料理番組でありながら夫婦の掛け合いも楽しめる番組として親しまれました。
夫妻の歩みを時系列で整理すると、仕事での成功と家庭の悲劇、そして病気を乗り越えようとした年月が交差していることが分かります。
| 時期 | 出来事 | 家族・芸能活動への影響 |
|---|---|---|
| 1962年 | ミュージカル『君にも金儲けができる』で共演 | 2人が知り合うきっかけとなる |
| 1963年 | 高島忠夫さんと寿美花代さんが結婚 | 寿美さんは同年に宝塚歌劇団を退団 |
| 1964年8月24日 | 長男・道夫さんが殺害される事件が発生 | 夫妻にとって生涯にわたる深い悲しみとなる |
| その後 | 次男・政宏さん、三男・政伸さんが誕生 | 2人の息子が俳優として成長する |
| 長年にわたり | 料理番組『ごちそうさま』で夫婦共演 | おしどり夫婦として広く親しまれる |
| 1998年 | 高島さんがうつ病を発症 | 寿美さんと息子たちが療養生活を支える |
| 2003年 | 高島さんが芸能界復帰を宣言 | 病気と向き合いながら復帰を目指す |
| 2019年6月26日 | 高島さんが老衰のため88歳で死去 | 長年連れ添った夫婦の生活に別れ |
| 2026年8月3日 | 寿美さんが老衰のため94歳で死去 | 2026年8月6日に所属事務所が訃報を発表 |
2人の関係が広く好感を持たれた背景には、テレビで見せる自然な掛け合いと、長年にわたって夫婦で仕事を続けた実績がありました。高島さんは明るく、エネルギッシュなキャラクターで知られ、家庭でもテレビで見せる姿と同じように朗らかだったと、次男の政宏さんが振り返っています。
夫妻は、夫婦げんかをほとんどしなかったと紹介されることもありました。ただし、おしどり夫婦という呼び名は、2人に困難がなかったことを意味しません。実際には、長男を亡くした事件や高島さんの病気など、家庭の内側では計り知れない苦しみを抱えていました。
それでも夫婦で番組に出演し、家庭を築き、病気の時期にも支え合ったことが、単なる芸能人同士の共演を超えた信頼関係として視聴者に受け止められたのです。
【1964年の悲劇】高島忠夫の長男・道夫さん殺害事件の真相と経緯
高島忠夫夫妻の人生を語るうえで避けて通れないのが、1964年8月24日に発生した長男・道夫さんの殺害事件です。結婚から約1年後に生まれた長男は、生後わずか5か月で命を奪われました。当時の夫妻にとって、あまりにも突然で受け入れ難い出来事でした。
事件は1964年8月24日の深夜に発生文春オンラインが2026年に掲載した事件の解説記事によると、当時34歳だった高島さんと32歳だった寿美さんは、東京都世田谷区上野毛の自宅で暮らしていました。事件が起きたのは8月24日午前2時ごろ。住み込みで働いていた17歳の家政婦が、長男の姿が見えないと騒ぎ始めたことが発覚のきっかけでした。
当初、家政婦は不審な物音や窓の外の人物について説明し、室内が荒らされたように見えたこともあって、夫妻は侵入者による誘拐を疑いました。家の中や周辺を探しても長男は見つからず、寿美さんが浴室を確認したところ、浴槽の中で道夫さんが発見されました。
夫妻はすぐに道夫さんを抱き上げて病院へ運びましたが、すでに心肺停止状態で、救命処置も及びませんでした。事件の衝撃は、愛する子どもを突然失った悲しみにとどまらず、日常生活の中で信頼していた人物が関わっていたという点にもありました。
犯人は17歳の住み込み家政婦だった文春オンラインが事件関連の書籍をもとに紹介した記事によると、警視庁による捜査の過程で、家政婦の説明や行動に不審な点が見つかりました。その後、家政婦が犯行を自供したと報じられています。
報道で説明された動機は、夫妻の愛情や関心が自分から離れてしまったと感じたことによる嫉妬でした。家政婦はもともと寿美さんのファンで、高島家で働くことを喜んでいたとされています。しかし、長男の誕生や看護師の存在によって、自分の立場が変わったと受け止め、身勝手な思い込みから犯行に及んだと伝えられています。
ここで押さえておきたいのは、家政婦が17歳だったという事実だけで事件を説明することはできない点です。報道で示されたのは、他人への嫉妬や、相手の気持ちを自分の思いどおりに動かそうとする考えが、取り返しのつかない犯罪につながったという経緯です。
事件が夫妻に残した深い傷長男を亡くした後も、事件の影響は夫妻の心に長く残ったと伝えられています。2013年に放送された高島家のドキュメンタリー番組でも、事件から約半世紀が過ぎた時点でなお、長男の死が家族にとって大きな傷となっていたことが取り上げられました。
寿美さんが息子を失ったことについて自分を責める思いを抱えていたことや、事件後に入浴を避けるようになったことも、後年の事件解説記事で紹介されています。事件は単に1964年に起きた過去の犯罪ではなく、夫妻のその後の生活にも影響を与えた出来事でした。
なお、事件を調べる際には、犯行の動機に関する報道と、捜査によって明らかになった経緯を区別することが大切です。動機が説明されていても、被害者である道夫さんや家族の苦しみが軽くなるわけではありません。
【家系図で整理】高島忠夫夫妻の家族構成と政宏・政伸との関係
高島忠夫夫妻の家族構成を整理すると、長男・道夫さん、次男・髙嶋政宏さん、三男・髙嶋政伸さんの3人の息子がいます。ただし、道夫さんは1964年の事件で生後5か月で亡くなっており、成人後に俳優として活動したのは政宏さんと政伸さんです。
高島さんの弟は音楽プロデューサーの髙嶋弘之さんで、バイオリニストとして知られる高嶋ちさ子さんは姪にあたります。高島家は俳優だけでなく、音楽分野にも縁の深い一族です。
高島家の家族構成- 父:高島忠夫。俳優、歌手、タレント、司会者、映画解説者として活躍。
- 母:寿美花代。元宝塚歌劇団星組男役トップスターで、俳優・タレントとしても活動。
- 長男:髙嶋道夫。1964年、事件により生後5か月で死去。
- 次男:髙嶋政宏。俳優として映画、テレビ、舞台などで活動。妻はミュージカル女優のシルビア・グラブ。
- 三男:髙嶋政伸。俳優としてテレビドラマや映画などで活動。
- 弟:髙嶋弘之。音楽プロデューサー。
- 姪:高嶋ちさ子。バイオリニスト、タレント。
政宏さんと政伸さんは、父の病気を経験した家族としても報道で取り上げられてきました。特に政宏さんは、うつ病を発症した父が急に痩せ、白髪が増えるなど、それまでの明るい姿から大きく変わったことに衝撃を受けたと、フジテレビの番組関連報道で語っています。
一方、政伸さんも父の療養を支えた家族の一人です。高島さんの闘病を扱った報道では、政伸さんが家族の資金面の整理を手伝ったエピソードが紹介されました。芸能界で活躍する父親を、家庭では病気と向き合う一人の家族として支えていたことがうかがえます。
ただし、親子関係を単純に「仲が良かった」「厳しかった」といった言葉だけで説明することはできません。高島さんの明るい人柄や仕事への姿勢、病気による変化、家族が直面した悲劇など、複数の経験が親子の関係を形づくっていました。
【うつ病との闘い】寿美花代と息子たちが支えた高島忠夫の療養生活
高島忠夫さんは、長年にわたって明るく活発なキャラクターで親しまれてきました。しかし、1998年にうつ病を発症し、芸能活動を休止することになります。テレビで見せていた姿との変化は、家族にとっても大きな衝撃だったと伝えられています。
1998年の発症と2003年の芸能界復帰宣言フジテレビの番組関連報道によると、高島さんは1998年にうつ病を発症し、その後、寿美さんや息子たちの支えを受けながら療養しました。2003年には芸能界復帰を宣言しています。
ただし、復帰を宣言した時期には、うつ病だけでなくパーキンソン病や不整脈などの問題も重なっていました。不整脈の治療ではペースメーカーを装着する手術も受けており、以前のように表舞台で活動することは難しくなっていきました。
この経緯から分かるのは、病気を抱えた人の回復が、気持ちの強さや周囲の励ましだけで決まるものではないということです。高島さんの場合も、家族の支援がありながら、複数の健康上の問題と向き合う必要がありました。
寿美花代が担った介護と家族の支援厚生労働省の働く人のメンタルヘルス・ポータルサイト「こころの耳」に掲載された寿美さんのインタビューでは、夫の病気を支える中で感じた負担や、夫婦で過ごした時間について語られています。寿美さんは、夫の病気を支えることが簡単なことではなく、自分自身もつらい時期を経験したと振り返っていました。
また、夫婦が長年続けた『ごちそうさま』での役割について、高島さんがよく話し、寿美さんが隣で相づちを打つ場面が多かったことも紹介されています。病気の後は、寿美さんが仕事や家のことを担う場面が増え、夫婦の役割は大きく変化しました。
ここで注目したいのは、「支える側」もまた支援を必要とするという点です。家族が病気の人を支えることには、精神的な負担や生活上の変化が伴います。寿美さん自身が苦労を語っていたことは、介護や療養を家族だけの献身に任せるのではなく、周囲の支援も必要だという現実を伝えています。
父親の病気が息子たちに与えた影響政宏さんは父のうつ病を目の当たりにした経験が、自分自身の健康への意識にも影響したと、インタビューで語っています。親が病気になることは、子どもにとっても健康や生活習慣について考えるきっかけになり得ます。
高島家の歩みから読み取れるのは、家族の支えが大切である一方、支える人にも限界があるということです。病気の本人を励ますことだけに注目するのではなく、家族が何を担い、どのような負担を抱えていたかにも目を向ける必要があります。
【晩年と最期】高島忠夫の死去、寿美花代の2026年の訃報
高島忠夫さんは2019年6月26日午後1時1分、老衰のため自宅で亡くなりました。88歳でした。所属事務所の発表を伝えた日本テレビNEWS NNNの2019年6月28日付報道によると、通夜と葬儀・告別式は家族のみで執り行われました。
高島さんは1951年に新東宝の第1期ニューフェースに合格し、翌1952年に映画『花の応援団長』でデビューしました。その後、映画やテレビ、歌手活動、司会業など多方面で活躍し、明るいキャラクターと幅広い仕事で長年親しまれました。
寿美花代も2026年8月に94歳で死去高島さんの死去から約7年後の2026年8月、寿美花代さんも老衰のため亡くなりました。東宝芸能が8月6日に発表した内容を、TBS NEWS DIGやオリコンなどの報道各社が伝えています。寿美さんは8月3日午前4時43分に亡くなり、94歳でした。
葬儀は家族のみで執り行われ、お別れ会などは予定されていないと報じられました。息子の政宏さんは、母について「最期の最期まで大女優 寿美花代だった母でした」と追悼。政伸さんも、母が子どもや孫に囲まれ、穏やかに旅立ったことを伝えています。
寿美さんの訃報を受けた追悼報道では、生前のインタビューで高島さんへの愛情を語っていたことも改めて紹介されました。舞台で出会い、1963年に結婚し、長年にわたってテレビで共演した2人の関係は、片方が亡くなった後も、夫婦の歴史として多くの人に記憶されています。
2026年現在、高島忠夫夫妻の歩みを振り返る際には、単に「芸能界のおしどり夫婦」というイメージだけでなく、長男を失った悲しみ、病気との闘い、家族で支え合った時間も含めて理解することが大切です。華やかな芸能生活の裏側には、一般家庭と同じように、あるいはそれ以上に重い苦難と向き合った年月がありました。
【高島忠夫夫妻】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:高島忠夫と寿美花代はいつ、どこで出会ったのですか?
A1:1962年に上演されたミュージカル『君にも金儲けができる』で共演したことが出会いのきっかけです。約2年間の交際を経て、1963年に結婚しました。
Q2:高島忠夫の長男・道夫さんは、なぜ殺害されたのですか?
A2:1964年8月24日、当時生後5か月だった道夫さんが、住み込みで働いていた17歳の家政婦によって殺害されました。事件を扱った報道では、夫妻の関心が自分から離れたと感じたことなどによる嫉妬が動機として伝えられています。
Q3:高島忠夫と寿美花代は現在どうしていますか?
A3:高島さんは2019年6月26日に88歳で、寿美さんは2026年8月3日に94歳で、それぞれ老衰のため亡くなりました。2026年10月現在、夫妻はともに故人です。
高島忠夫さんと寿美花代さんは、1962年の舞台共演をきっかけに出会い、1963年に結婚しました。料理番組『ごちそうさま』で26年にわたり共演した2人は、明るい掛け合いと長年連れ添った姿によって、おしどり夫婦として親しまれました。
しかし、1964年の長男・道夫さん殺害事件は、夫妻の人生に深い傷を残しました。その後、政宏さんと政伸さんを育て、高島さんのうつ病や身体の病気と向き合いながら、家族で支え合う年月を重ねていきました。
2019年に高島さんが亡くなり、2026年8月には寿美さんも94歳で旅立ちました。2人の人生は、芸能界での成功だけでは語り尽くせません。長男を失った悲しみ、病気との闘い、仕事を通じて築いた信頼、家族が互いを支えた時間。その一つひとつが、高島忠夫夫妻の歩みを形づくっています。
夫妻の歴史を知ることは、テレビで見せた華やかな姿の向こう側にあった人生を知ることでもあります。おしどり夫婦という言葉の背景には、楽しい時間だけでなく、長い年月を共に生き、困難に向き合った2人の歴史がありました。