平成維震軍(へいせいいしんぐん)は、1990年代の新日本プロレスで活躍したプロレスユニットです。旧称は「反選手会同盟(はんせんしゅかいどうめい)」で、越中詩郎を中心に、小林邦昭、木村健悟、青柳政司、齋藤彰俊らが参加。新日本プロレスの選手会に反発する立場から出発し、独自の存在感を放つ集団へと発展しました。
1993年の改称後は、道着や袴、丸刈り姿、巨大な「覇」の旗、そして泥臭く力強いファイトスタイルで人気を獲得。1999年には解散を表明しましたが、その名前と個性は後年の再集結でも注目を集めています。2026年に平成維震軍の歴史を振り返るうえで押さえておきたい、読み方、結成の経緯、歴代メンバー、活動した団体、現在につながる動きを整理します。
【基本情報】平成維震軍とは?読み方と反選手会同盟との関係

平成維震軍の読み方は「へいせいいしんぐん」です。新日本プロレスで1990年代に活動したユニットで、リーダー格の越中詩郎を中心に、選手会への反発を背景として結成されました。
名称を理解する際に注意したいのが、「平成維震軍」と「反選手会同盟」は別々に生まれた無関係の団体ではないという点です。反選手会同盟が先に結成され、メンバーの増加や集団としての方向性の変化を経て、平成維震軍へと名称を変更しました。
つまり、反選手会同盟は平成維震軍の前身にあたります。1990年代のプロレス史を調べる場合は、両方の名称を一続きの歴史として捉えると、メンバーや抗争の変化を理解しやすくなります。
また、表記は「平成維震軍」です。「平成維新軍」と書かれることもありますが、一般に知られるユニット名は「震」の字を使います。日刊スポーツの2019年の特集では、越中が名前の意味を「プロレス界を震撼させる活躍をする」という趣旨で説明しています。
この名称には、既存の勢力に従うのではなく、自分たちの存在をリング上で示そうとする姿勢が表れています。平成維震軍は単なるチーム名にとどまらず、当時の新日本プロレスにおける反骨精神を象徴するユニットとして認知されました。
【結成の経緯】反選手会同盟はなぜ生まれたのか
平成維震軍の歴史をたどる出発点は、1992年の新日本プロレスと誠心会館をめぐる一連の対立です。誠心会館は空手を背景とする団体で、館長を務めていた青柳政司と、新日本プロレスの選手たちとの抗争が、後のユニット結成につながりました。
日刊スポーツの解説によると、越中詩郎と小林邦昭が青柳の主宰する誠心会館の自主興行に参加したことが、新日本プロレスの選手会との対立を深めるきっかけになりました。当時の越中は選手会長、小林は副会長を務めていましたが、選手会との関係が悪化し、両者は選手会を離れることになります。
こうした経緯から、越中と小林に木村健悟、青柳政司、齋藤彰俊らが加わり、1992年に反選手会同盟が結成されました。組織の内側にいながら、その運営や選手会のあり方に異議を唱えるという構図が、ユニットの出発点だったのです。
翌1993年には後藤達俊、小原道由、ザ・グレート・カブキらが加わり、集団としての規模が拡大。同年11月には平成維震軍へと改称し、反選手会同盟という名称が示す反発の姿勢に加えて、独立した勢力としての個性を強く打ち出すようになりました。
重要なのは、平成維震軍が最初から完成された大人数のユニットだったわけではないことです。選手会との対立を起点に、個々の選手が合流し、試合や興行を通じて存在感を高めていった結果、独自のブランドを持つ集団へと成長しました。
【歴史・年表】平成維震軍の活動時期と名称の変遷
平成維震軍の活動時期は、前身となる反選手会同盟が結成された1992年から、1999年の解散表明までを中心に整理できます。その後も記念大会や特別な試合で再集結しており、解散後の動きもユニットの歴史を理解するうえで欠かせません。
| 時期 | 主な出来事 | ポイント |
|---|---|---|
| 1992年 | 反選手会同盟を結成 | 越中詩郎、小林邦昭らが選手会との対立を背景に集結 |
| 1993年 | 平成維震軍へ改称 | 後藤達俊、小原道由、ザ・グレート・カブキらが加わり、独自色を強める |
| 1994年 | 新日本プロレスの第2ブランドとして自主興行を展開 | 通常のユニット活動を超えた興行面での存在感を示す |
| 1996年 | 野上彰(現AKIRA)が加入 | メンバー構成が変化しながら活動を続ける |
| 1999年 | 解散を表明 | 1990年代の主要な活動に区切りがつく |
| 2019年 | 越中詩郎のデビュー40周年記念大会で再集結 | 真霜拳號も加わり、平成維震軍の名を冠した試合を開催 |
| 2021年 | プロレスリング・ノアで活動していた反選手会同盟が消滅 | 齋藤彰俊と井上雅央のユニットが敗者ユニット吸収マッチに敗れる |
| 2024年 | 齋藤彰俊の現役最後の後楽園ホール大会で再結成 | 越中詩郎、AKIRAらが参加。齋藤は同年11月17日に引退 |
年表から分かるように、1990年代の平成維震軍と、後年にノアのリングで登場した関連ユニットは、同じ名前や歴史を共有しながらも、活動時期や形態が異なります。特に、2019年以降の再集結は、1990年代のような継続的なユニット活動と区別して理解する必要があります。
1994年には新日本プロレスの第2ブランドとして旗揚げ戦を行うなど、通常の試合で共闘するだけではない活動も展開しました。こうした実績は、平成維震軍が単なる抗争相手の寄り合いではなく、独自の興行価値を持つ集団へ発展していたことを示しています。
【歴代メンバー】平成維震軍を支えた主要選手と役割
平成維震軍のメンバーは、結成当初から解散まで固定されていたわけではありません。新たな選手の加入や離脱があり、時期によって顔ぶれが変わりました。歴代メンバーを理解するには、中心となった選手と、後から加わった選手を分けて整理するのが分かりやすい方法です。
結成当初の中心メンバー- 越中詩郎:リーダー格としてユニットを率いた中心人物。ヒップアタックを代名詞とし、平成維震軍の反骨精神を体現した。
- 小林邦昭:初代タイガーマスクとの抗争などで知られる実力者。反選手会同盟の結成を支えた主要メンバー。
- 木村健悟:豊富なキャリアと技術を持つベテラン。ユニットの結成当初から参加した選手の一人。
- 青柳政司:誠心会館の館長。平成維震軍につながる抗争の背景を担った人物。
- 齋藤彰俊:武骨なファイトスタイルで存在感を示し、後年にはプロレスリング・ノアでも関連ユニットの活動を担った。
この5人は、反選手会同盟の成立を説明する際に欠かせない顔ぶれです。ただし、結成メンバー全員が最後まで同じ形で活動したわけではありません。青柳らはそれぞれの事情から離脱し、ユニットの構成は時期とともに変化しました。
1993年以降に加わった主なメンバー- 後藤達俊:1993年に加わった選手。武骨なファイトでユニットの厚みを支えた。
- 小原道由:1993年に加入。既存の勢力から合流し、平成維震軍の一員として活動した。
- ザ・グレート・カブキ:独特の存在感とキャリアを持つベテラン。チームの技術面や連係を語るうえでも重要な選手。
- 野上彰(AKIRA):1996年に加入。後年の再集結でも平成維震軍のメンバーとして参加した。
このほか、2019年の越中詩郎デビュー40周年記念大会では真霜拳號が加わりました。ただし、これは記念大会での参加であり、1990年代の歴代メンバーと同じ意味で恒常的な所属選手として扱うのは適切ではありません。
歴代メンバーを調べる際には、「結成当初のメンバー」「1990年代の途中で加入した選手」「解散後の記念大会に参加した選手」を区別が必要です。大会単位の参加者まで一律に歴代メンバーへ含めると、実際のユニット構成が分かりにくくなります。
【特徴と魅力】道着・袴・「覇」の旗が象徴する反骨精神
平成維震軍の特徴として、まず挙げられるのが視覚的な統一感です。道着や袴、丸刈り姿、選手によっては眉毛までそり上げた風貌など、当時の新日本プロレスの中でも異彩を放つ出で立ちで登場しました。加えて、大きな「覇」の旗を掲げる演出も、ユニットを象徴するものとして知られています。
こうした演出は、単に見た目を目立たせるためだけのものではありません。選手会との対立から生まれた集団が、既存の本隊とは異なる価値観や美学を持つことを、入場時から観客に伝える役割を果たしました。衣装や旗、ファイトスタイルを一体化させることで、平成維震軍は独自のブランドを確立していったのです。
ファイトスタイルは、派手な技巧や華やかな演出を前面に押し出すというよりも、打撃や肉体のぶつかり合いを重視する武骨なものとして認識されていました。越中のヒップアタックに代表される個々の選手の得意技に加え、チームとしての連係や粘り強さも魅力でした。
2017年の週刊プレイボーイによる越中詩郎とザ・グレート・カブキへの取材では、越中が会社や選手会のあり方に異議を唱える選手たちの集まりだったことを振り返り、カブキは技術、チームワーク、男気をユニットの魅力として評価しています。こうした当事者の回想は、平成維震軍が単なる反体制キャラクターではなく、実力と連係を備えた集団だったことを示しています。
また、平成維震軍の立ち位置は、主役級のスター選手を中心に据えたユニットとは少し異なっていました。個々の選手が持つキャリアや技術を組み合わせ、集団として存在感を生み出す点に強みがあったのです。
日刊スポーツも、平成維震軍が自主興行を開催するなど注目を集めた一方、蝶野正洋率いるnWoの人気が高まるにつれて存在感が薄れていった経緯を紹介しています。ユニットの魅力を評価するには、リング上の実力だけでなく、同時代の勢力図や興行の変化も合わせて見る必要があります。
【現在・その後】解散後の再集結とプロレスリング・ノアとの関係
平成維震軍は1999年に解散を表明しましたが、メンバー同士のつながりやユニットの知名度が失われたわけではありません。後年の記念大会や特別な試合で再集結が実現し、1990年代を知るファンだけでなく、当時をリアルタイムで知らない世代にも名前が伝わっています。
2019年:越中詩郎のデビュー40周年記念大会2019年1月30日、後楽園ホールで開催された越中詩郎のデビュー40周年記念大会では、平成維震軍のメンバーが集結しました。日刊スポーツの報道では、真霜拳號も新たな戦力として加わり、平成生まれの選手たちを相手に試合を行ったことが紹介されています。
この大会は、平成維震軍が単に過去の映像や記録の中だけに存在する名前ではなく、メンバーの節目に合わせて再びリング上で姿を見せる存在であることを示しました。ただし、記念大会での再集結と、1990年代のように継続して活動するユニットとは区別する必要があります。
ノアの反選手会同盟と平成維震軍は同じなのか2019年には、プロレスリング・ノアで齋藤彰俊と井上雅央が「反選手会同盟」を結成しました。これは平成維震軍の前身と同じ名称を用いた関連ユニットですが、1990年代の新日本プロレスで活動した集団が、そのままノアへ移籍して継続していたという意味ではありません。
ENCOUNTの2021年の記事によると、ノアの反選手会同盟は同年3月、ファンキーエクスプレスとの敗者ユニット吸収マッチに敗れ、ユニットとしての活動に区切りがつきました。この経緯は、平成維震軍の歴史と、後年に同じ名前を掲げた反選手会同盟の動きを混同しないために押さえておきたいポイントです。
2024年:齋藤彰俊の引退ロードで再結成プロレスリング・ノアの公式サイトによると、2024年10月14日の後楽園ホール大会では、齋藤彰俊の現役最後の後楽園ホールでの試合に合わせて平成維震軍が再結成されました。齋藤は越中詩郎、AKIRAと組み、潮崎豪、モハメド・ヨネ、小峠篤司組と対戦しています。
その後、齋藤は2024年11月17日の引退記念大会で現役を引退しました。ノアの公式プロフィールでも引退日が記録されており、2024年の再結成は、齋藤の長いキャリアを締めくくる節目の一つとなりました。
2026年時点で平成維震軍を振り返る際には、1990年代の新日本プロレスで活動した歴史的ユニットと、後年に行われた再集結を分けて捉えるのが適切です。再結成によって名前が再びリングに登場したことは、当時のユニットが残した存在感の大きさを物語っています。
【平成維震軍】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:平成維震軍の読み方は何ですか? A1:読み方は「へいせいいしんぐん」です。「平成維新軍」と混同されることがありますが、一般に知られるユニット名は「震」の字を使う平成維震軍です。
Q2:反選手会同盟と平成維震軍は別の団体ですか? A2:別々に結成された無関係の団体ではありません。1992年に結成された反選手会同盟が前身で、1993年に平成維震軍へ改称しました。
Q3:平成維震軍の主なメンバーは誰ですか? A3:越中詩郎、小林邦昭、木村健悟、青柳政司、齋藤彰俊らが結成当初の中心メンバーです。その後、後藤達俊、小原道由、ザ・グレート・カブキ、野上彰(AKIRA)らが加わりました。
Q4:平成維震軍はいつ解散しましたか? A4:1999年に解散を表明しました。ただし、その後も記念大会や特別な試合で再集結しており、解散後に一切活動していなかったわけではありません。
Q5:平成維震軍は現在も活動していますか? A5:1990年代のような継続的なユニット活動と、後年の記念的な再集結は区別する必要があります。2024年にはノアの大会で再結成されましたが、これは齋藤彰俊の引退ロードに伴う特別な試合でした。
平成維震軍は、新日本プロレスの選手会との対立から生まれた反選手会同盟を前身とするプロレスユニットです。1992年に結成され、1993年に改称。越中詩郎を中心に、武骨なファイト、道着や袴、「覇」の旗といった特徴を打ち出し、自主興行を行うほどの存在感を獲得しました。
歴代メンバーを確認する際は、結成当初の選手と後から加入した選手、さらに解散後の記念大会で参加した選手を区別することが大切です。また、1999年の解散表明と、2019年以降の再集結は同じ出来事ではありません。ノアで活動した反選手会同盟も、名称や歴史的なつながりはあるものの、1990年代の平成維震軍そのものが継続していたわけではありません。
平成維震軍の魅力は、反骨精神を前面に出した個性だけでなく、各選手の技術や連係、そして長年にわたる仲間同士のつながりにもあります。結成の背景、名称の変遷、歴代メンバー、解散後の動きを順番に追うことで、1990年代の新日本プロレスにおいて、このユニットが果たした役割をより立体的に理解できます。