2026年現在、元大関で演歌歌手としても活躍した増位山太志郎さんは、2025年6月15日に76歳で亡くなっています。所属事務所のゴールデンミュージックプロモーションが同月17日に公表した訃報によると、死因は肝不全でした。2022年12月に敗血症と診断され、療養とリハビリのために活動を休止していたことも明らかになっています。
増位山さんは、相撲界で史上初の親子大関として歴史に名を刻み、歌手としては「そんな夕子にほれました」「そんな女のひとりごと」などのヒット曲を世に送り出しました。土俵を離れた後も歌い続け、2025年10月には追悼盤の全曲集が発売されています。現在の状況、病気と療養の経緯、大関時代の成績、歌手としての功績、そして人柄が伝わるエピソードを整理します。
【増位山の現在】2025年6月15日に76歳で死去、公式発表の内容

増位山太志郎さんの現在について、まず押さえておきたいのは、2025年6月15日に亡くなったという事実です。2026年の近況を調べる際には、療養中の情報と、訃報発表後の情報を区別する必要があります。
所属事務所は2025年6月17日付の訃報で、増位山さんが病気療養中だったところ、肝不全のため6月15日午後2時38分に永眠したと発表しました。享年は76歳です。日本相撲協会や日刊スポーツ、スポーツニッポンなども訃報を伝えています。
所属事務所の発表で特に印象的なのは、本人が最後まで活動への復帰を強く望んでいたと説明されている点です。相撲と歌を愛し、両方の世界で多くの人に応援された人生だったとして、ファンや関係者への感謝も伝えられました。
葬儀は遺族の意向により、家族や近親者のみで執り行われました。弔問、香典、供花などについても辞退する旨が公表されています。大規模な公開葬儀や一般向けの告別式が行われたわけではありません。
なお、インターネットで「増位山」と検索すると、父親の初代・増位山大志郎に関する情報が混在することがあります。今回亡くなったのは、元大関で演歌歌手として知られた二代目の増位山太志郎さんです。父親も元大関だったため、親子の経歴を混同しないことが大切です。
【病気と療養の経緯】2022年の活動休止から最期まで
増位山さんが公の活動から遠ざかった大きな転機は、2022年12月でした。所属事務所の訃報によると、体調不良を訴えた際、医師から敗血症と診断され、復帰に向けた療養とリハビリを行うために活動を休止しました。
ここで注意したいのは、活動休止のきっかけとなった敗血症と、亡くなった直接の原因として公表された肝不全は、同じものとして扱えないという点です。公式発表では、2022年12月の診断と2025年6月の死因がそれぞれ説明されていますが、両者の医学的な因果関係や、療養中の詳しい病状までは公表されていません。
療養期間は約2年半に及びました。日刊スポーツの2025年6月18日付報道によれば、増位山さんは復帰に向けてリハビリを続け、関係者が連絡を入れた際にも、新曲について尋ねるなど、音楽活動への意欲を示していたといいます。同紙は、2025年2月にステージへ復帰する計画もあったものの、実現しなかったと伝えています。
歌手として再びステージに立つことを目指していたという経緯は、訃報の受け止め方にも関わる重要な事実です。活動休止をそのまま引退と捉えるのは正確ではありません。本人は復帰を望んでおり、その願いがかなわないまま亡くなったことが、所属事務所の発表からもうかがえます。
増位山さんの病気について、ネット上では「いつから療養していたのか」「なぜ活動を休止したのか」「死因は何だったのか」という疑問が見られます。公表された経緯を時系列で整理すると、次のようになります。
| 時期 | 出来事 | 公表されている内容 |
|---|---|---|
| 2022年12月 | 活動休止 | 体調不良を訴え、医師から敗血症と診断。療養とリハビリを開始。 |
| 2023年以降 | 療養生活 | 復帰を目指して療養とリハビリを継続。詳細な病状は公表されていない。 |
| 2025年2月 | ステージ復帰の計画 | 日刊スポーツが復帰計画を報道したが、実現には至らなかった。 |
| 2025年6月15日 | 死去 | 午後2時38分、肝不全のため死去。享年76歳。 |
| 2025年6月17日 | 訃報公表 | 所属事務所が死去と療養の経緯を発表。 |
| 2025年10月15日 | 追悼盤発売 | テイチクエンタテインメントから「増位山太志郎 追悼盤 全曲集」が発売された。 |
この年表から分かるのは、活動休止から訃報までの間、本人が復帰を目指していたこと、そして死因が肝不全と公式に発表されたことです。一方、入院時期や治療内容、肝不全に至った具体的な医学的経過は明らかにされていません。
【大関時代の実績】増位山太志郎の相撲成績と父子大関の歴史
増位山太志郎さんは、演歌歌手としての知名度だけで語ることのできない力士です。日本相撲協会の公式プロフィールによると、1948年11月16日生まれで、本名は澤田昇。三保ヶ関部屋に所属し、最高位は大関でした。
父親は、初代・増位山大志郎です。父も大関を務めた名力士で、息子も同じく大関に昇進したことから、史上初の親子大関として注目を集めました。親の名跡を継ぎながら、自らの実績によって角界で評価を得た人物です。
日本相撲協会の記録では、1967年1月場所で初土俵を踏み、1970年3月場所で新入幕。1980年3月場所に大関へ昇進し、1981年3月場所を最後に現役を引退しました。大関在位は7場所です。
生涯戦績は597勝538敗18休、通算86場所。幕内では422勝435敗18休を記録し、技能賞を5回受賞、金星を4個獲得しています。幕内優勝はありませんが、勝ち星だけでは測れない技術と個性を持った力士でした。
日刊スポーツやスポーツニッポンの報道では、柔軟な足腰を生かした投げ技や、左右の内掛けなど多彩な技が紹介されています。相手の出足を止め、攻撃をかわしながら勝機をつかむ取り口は、増位山さんの相撲を特徴づけるものでした。
大関在位が7場所だったことだけを見て、力士としての評価を低く捉えるのは適切ではありません。幕内で長く戦い、技能賞を5回受賞した実績が示すように、増位山さんは技術面で存在感を示した力士でした。史上初の親子大関という歴史的な記録も、その歩みを語るうえで欠かせません。
【歌手活動と代表曲】「そんな女のひとりごと」が残した大ヒット
増位山さんのもう一つの顔が、演歌歌手です。力士として現役だった時代から歌に親しみ、1972年に「いろは恋唄」で歌手デビュー。土俵と音楽という異なる世界で活動する、珍しい経歴を築きました。
テイチクレコードの公式プロフィールによると、「そんな夕子にほれました」が大ヒットし、1977年8月に発売された「そんな女のひとりごと」は130万枚を売り上げました。1978年の第11回日本有線大賞では、同曲で有線音楽賞とベストヒット賞を受賞しています。
「そんな夕子にほれました」と「そんな女のひとりごと」は、増位山さんの歌手人生を代表する2曲です。いずれも昭和歌謡を象徴する作品として知られ、相撲ファンだけでなく歌謡曲を聴く人々にも名前を広めました。「男の背中」も代表曲の一つとして挙げられます。
歌手活動は、現役引退後に始まったわけではありません。1972年のデビューは力士時代に当たり、1981年の現役引退後は親方として後進を指導しながら、音楽活動も続けていました。
2013年11月15日に日本相撲協会を定年退職すると、歌手活動を本格化させました。その後も新曲を発表し、2014年には「冬子のブルース」などの作品を送り出しています。2012年には松居直美さんとのデュエット曲「秘そやかに華やかに」が第45回日本作詩大賞の入賞作品となるなど、演歌歌手としての活動歴は長期にわたります。
増位山さんの歌声が支持された背景には、力士としての知名度だけでなく、歌謡曲の世界で積み重ねた実績があります。相撲界の著名人が歌を披露するという話題性にとどまらず、130万枚という売り上げや音楽賞の受賞が、歌手としての評価を裏付けています。
代表曲を振り返るなら、まずは次の3曲から聴くと、増位山さんの音楽活動をつかみやすくなります。
- 「そんな夕子にほれました」:歌手としての知名度を高めた代表的なヒット曲。
- 「そんな女のひとりごと」:130万枚を売り上げ、日本有線大賞で2つの賞を受賞した代表作。
- 「男の背中」:増位山さんのレパートリーを語るうえで欠かせない楽曲。
これらの曲は、2025年10月に発売された追悼盤にも収録されています。活動の軌跡をたどりたい人にとって、歌を通じて増位山さんの魅力を再確認できる作品群です。
【父・増位山大志郎と三保ヶ関部屋】親方として残した功績
増位山太志郎さんの人生を理解するうえで、父親である初代・増位山大志郎の存在も重要です。父は元大関で、三保ヶ関部屋の師匠を務めました。太志郎さんは父の反対を押し切って力士を志し、父が師匠を務める三保ヶ関部屋に入門したと、所属事務所の公式プロフィールなどで紹介されています。
父子ともに大関へ昇進したことは相撲界で大きな話題になりました。しかし、太志郎さんの歩みは父の名声を受け継ぐだけのものではありません。現役時代には技能賞を5回受賞し、引退後は後進を育てる立場へと役割を変えていきました。
1981年に現役を引退した後は、年寄・小野川を経て、1984年に10代目三保ヶ関を襲名。父から三保ヶ関部屋を継承し、親方として力士の育成に取り組みました。
日刊スポーツの訃報記事では、増位山さんの指導を受けた力士として、後に尾上親方となる浜ノ嶋や、木瀬親方となる肥後ノ海らが紹介されています。引退後の増位山さんは、土俵で自ら勝つ立場から、若い力士の成長を支える立場へと移っていったのです。
また、増位山さんは絵画にも親しみ、二科展への入選を重ねたことでも知られています。歌、相撲、絵画と複数の分野に関心を持っていたことは、所属事務所の人物紹介やスポーツ紙の報道にも記されています。
2013年11月の日本相撲協会定年退職をもって、長年にわたる親方としての役割にも一区切りがつきました。そこから歌手活動を本格化させたことを考えると、増位山さんは一つの肩書にとどまらず、人生の段階に応じて自分の活動領域を広げてきた人物だったと分かります。
【プロの結論】人柄と追悼盤から見える増位山太志郎の生涯
増位山さんの人柄については、現役時代の強さや歌手としての人気だけでなく、周囲への接し方を伝えるエピソードも残っています。
日刊スポーツが2025年6月30日に掲載した芸能記者コラムでは、増位山さんが女性への接し方について語った言葉や、相手に対して思いやりを持つ姿勢が紹介されました。取材した記者は、老若男女に優しく、特に女性への気配りを欠かさない人物だったと振り返っています。
同コラムでは、歌手名の読み方にまつわるエピソードも紹介されています。力士としての名前は「だいしろう」と読まれていましたが、歌手活動では「たいしろう」という読み方が定着しました。名前の読みをめぐる小さな行き違いを、本人は大きな問題にせず受け入れたといいます。こうした話からは、実績の大きさとは別の、人柄の柔らかさが伝わります。
もちろん、人物評価は一つのエピソードだけで決まるものではありません。それでも、相撲界で親方を務め、歌手として長く活動し、関係者から人柄をしのぶ声が寄せられたことは、増位山さんの歩みを理解する手がかりになります。
死去後の2025年10月15日には、テイチクエンタテインメントから「増位山太志郎 追悼盤 全曲集」が発売されました。所属事務所の告知によると、CDには全18曲が収録され、「夕子のお店」の未発表バージョンも含まれています。代表曲の「そんな夕子にほれました」「そんな女のひとりごと」「男の背中」に加え、晩年の作品も収録した内容です。
追悼盤の発売は、2026年現在に増位山さんの音楽に触れるための具体的な手段の一つです。新たなステージ出演や本人による活動再開を期待する状況ではありませんが、過去の音源や映像、公式プロフィール、相撲協会の記録を通して、その功績をたどることはできます。
また、「活動休止」と「引退」は同じ意味ではありません。増位山さんの場合、2022年12月の活動休止後も復帰を目指していたことが所属事務所から公表されています。本人が歌手活動から正式に引退したという発表があったわけではなく、療養中に亡くなったというのが公表された経緯です。
増位山さんの生涯を評価する際には、相撲の成績だけ、あるいは歌手としての売り上げだけを見るのではなく、二つの分野で積み重ねた仕事を合わせて捉える必要があります。史上初の親子大関という相撲界の記録、130万枚を売り上げた歌謡曲の実績、そして親方としての後進育成。これらを一つの人生の中で実現したことが、増位山太志郎さんの大きな特徴です。
【増位山の現在】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:増位山太志郎さんは現在も生きていますか?
A1:いいえ。所属事務所の発表によると、2025年6月15日に肝不全のため76歳で亡くなりました。2026年現在、本人はすでに故人です。
Q2:増位山太志郎さんの死因は何ですか?
A2:死因は肝不全です。2025年6月17日付の所属事務所の訃報で公表されました。2022年12月には敗血症と診断され、療養とリハビリのため活動を休止していましたが、肝不全に至った詳しい医学的経過は公表されていません。
Q3:増位山太志郎さんはなぜ活動を休止したのですか?
A3:2022年12月に体調不良を訴え、医師から敗血症と診断されたためです。復帰に向けて療養とリハビリを続けていましたが、2025年2月に計画されていたステージ復帰も実現しませんでした。
Q4:増位山太志郎さんの代表曲は何ですか?
A4:「そんな夕子にほれました」「そんな女のひとりごと」「男の背中」などが代表曲です。特に「そんな女のひとりごと」は130万枚を売り上げ、1978年の第11回日本有線大賞で有線音楽賞とベストヒット賞を受賞しました。
Q5:増位山太志郎さんの追悼盤は発売されていますか?
A5:はい。2025年10月15日に「増位山太志郎 追悼盤 全曲集」が発売されました。全18曲を収録し、「夕子のお店」の未発表バージョンも収められています。発売情報は所属事務所とテイチクエンタテインメントの公式情報で確認できます。
Q6:父親の増位山大志郎さんも大関だったのですか?
A6:はい。父親の初代・増位山大志郎さんも大関を務めた力士です。太志郎さんも大関に昇進したため、史上初の親子大関として知られています。父子は同じ名前の系譜を持ちますが、別々の人物です。
増位山太志郎さんは、2025年6月15日に肝不全のため76歳で亡くなりました。2022年12月に敗血症と診断されて活動を休止した後も、療養とリハビリを続け、歌手活動への復帰を望んでいたことが所属事務所から公表されています。
相撲界では597勝538敗18休という生涯戦績を残し、父・増位山大志郎さんとともに史上初の親子大関を実現しました。引退後は三保ヶ関部屋の親方として後進を育て、歌手としては「そんな夕子にほれました」「そんな女のひとりごと」などのヒット曲を世に送り出しました。
2025年10月に発売された追悼盤「増位山太志郎 追悼盤 全曲集」は、本人の歌声と作品を振り返る機会を提供しています。2026年現在の増位山さんを知るうえでは、療養中の情報だけでなく、公式の訃報、相撲協会の戦績、レコード会社の作品情報を合わせて確認することが大切です。
大関としての実績と、昭和歌謡を彩った歌手としての功績。その両方を一人で築き上げた増位山太志郎さんの生涯は、相撲と音楽の双方に足跡を残した、稀有な歩みとして記憶されていくでしょう。