清水宏保(しみず・ひろやす)さんは、1998年の長野オリンピックでスピードスケート男子500mの金メダルを獲得し、日本の冬季スポーツ史に名を刻んだ元アスリートです。現役引退後は競技の世界から活動領域を広げ、介護・リハビリテーション・フィットネス事業の経営に携わるほか、2023年には弘前大学大学院で博士(医学)を取得しました。
2026年現在の清水宏保さんを知るうえで重要なのは、五輪金メダリストという肩書だけではありません。18歳でのワールドカップ初優勝、500mの世界記録更新、引退後の大学院進学、そして高齢者の健康を支える事業への転身には、一貫した競技者としての姿勢が見えてきます。ここでは、日本オリンピック委員会(JOC)の大会記録、弘前大学の学位に関する経歴、北海道の介護分野における公式インタビューなどをもとに、競技人生と現在の活動を整理します。
【清水宏保の現在】2026年は介護・健康事業を担う実業家として活動

2026年現在、清水宏保さんの活動の柱となっているのは、北海道を拠点とした健康関連事業の経営です。競技引退後に株式会社two.sevenを設立し、リハビリ型通所介護施設、訪問看護ステーション、サービス付き高齢者向け住宅、フィットネス事業などを展開してきました。
愛知県の介護職情報サイト「介護の魅力ネット・あいち」が2025年に公開したインタビューでも、清水さんは介護・訪問看護・高齢者住宅・フィットネス事業を手掛ける経営者として紹介されています。同サイトのプロフィールによると、2024年1月には株式会社two.sevenの代表取締役会長に就任しました。
事業の特徴は、介護とスポーツを切り離さず、運動やリハビリを通じて地域の人々の健康を支えようとしている点です。高齢者向けのサービスを、単に介助を受ける場所として考えるのではなく、身体を動かし、日常生活の機能を維持するための場として位置付けています。
また、清水さんは弘前大学の特別招聘教授など、教育分野の肩書も持っています。講演やメディア出演、情報発信も続けており、現在の活動は「元スピードスケート選手」という一つの枠には収まりません。
ただし、実業家としての活動を評価する際には、五輪の実績と企業経営の成果を分けて考える必要があります。金メダルは競技実績を示す確かな記録ですが、企業の経営状態やサービスの質は、提供する事業の内容、運営体制、利用者への支援などを基準に判断するものです。
【スピードスケート経歴と五輪メダル歴】長野五輪の金メダルまでの歩み
清水宏保さんは1974年2月27日、北海道帯広市に生まれました。日本オリンピック委員会の長野大会プロフィールでは、スケートを始めたきっかけとして姉の影響が挙げられています。幼少期から競技に取り組み、短距離種目で頭角を現しました。
1991年には浅間選抜500mで日本高校新記録を樹立し、全日本スプリント選手権でも総合4位に入賞。1993年にはワールドカップに初出場し、初優勝を飾ったと選手プロフィールなどで紹介されています。若くして世界のトップ選手と競い合う存在になったことが、その後の五輪での活躍につながりました。
清水さんのオリンピック出場は、1994年のリレハンメル大会から2006年のトリノ大会まで、冬季五輪4大会連続です。メダル獲得の中心となったのは、持ち味を発揮できる男子500mでした。
| 年・大会 | 主な出来事・成績 | 競技人生における意味 |
|---|---|---|
| 1991年 | 浅間選抜500mで日本高校新記録 | 短距離選手として注目を集める |
| 1993年 | ワールドカップ初出場・初優勝 | 世界のトップレベルに進出 |
| 1994年・リレハンメル五輪 | 男子500mで5位 | 初出場で入賞を果たす |
| 1998年・長野五輪 | 男子500mで金、1000mで銅 | 日本男子スピードスケート初の五輪金メダル |
| 2001年 | 男子500mで34秒32の世界記録(当時) | 世界屈指の短距離選手として実力を示す |
| 2002年・ソルトレークシティ五輪 | 男子500mで銀 | 五輪2大会連続で500mのメダルを獲得 |
| 2006年・トリノ五輪 | 男子500mで18位 | ベテランとして競技を続ける |
| 2010年3月 | 現役引退 | 経営・教育・健康分野へ活動を広げる |
| 2023年 | 弘前大学大学院で博士(医学)を取得 | 競技経験を学術面にもつなげる |
1998年の長野オリンピックでは、男子500mで金メダル、1000mで銅メダルを獲得しました。JOCの記録や大会資料でも確認できる実績であり、日本の男子スピードスケートにとって歴史的な成果でした。
2002年のソルトレークシティ五輪では、得意の500mで銀メダルを獲得しています。五輪でのメダルは、金1個、銀1個、銅1個の合計3個です。1994年のリレハンメル大会では500mで5位に入り、2006年のトリノ大会にも出場しましたが、同大会の500mでは18位でした。
長野五輪の金メダルだけでなく、世界大会やワールドカップで長期間にわたって成績を残したことも、清水さんの競技人生を評価するうえで欠かせません。愛知県の介護分野の公式プロフィールでは、ワールドカップ通算34勝と紹介されています。
【500m世界記録の真相】清水宏保が世界最速と呼ばれた理由
清水宏保さんの強さを語る際、欠かせないのが500mの世界記録です。2001年3月、ソルトレークシティで開催された世界距離別選手権の男子500mで、清水さんは34秒32を記録しました。当時の世界記録を更新したもので、スポーツ情報誌『イミダス』の当時の記事でも詳しく報じられています。
この34秒32は、現在の世界記録を意味する数字ではありません。重要なのは、当時の世界トップ選手がしのぎを削る中で、世界記録を更新する滑りを実現したという点です。清水さんは1996年にも世界記録を更新しており、500mで複数回にわたり世界記録を塗り替えました。
では、清水さんはなぜ短距離でこれほどの強さを発揮できたのでしょうか。
第一の要素は、スタートから加速するまでの技術です。清水さんは身長162cmの小柄な体格でありながら、低い姿勢を保ち、細かなピッチで加速する滑りを磨きました。『イミダス』の記事では、その特徴が「弾丸スタート」として紹介されています。スタート直後の加速は、短い距離で勝敗が決まる500mにおいて大きな意味を持ちます。
第二の要素は、技術や用具の変化への対応です。清水さんは1997年にスラップスケートへ変更し、その後の長野五輪で金メダルを獲得しました。用具を変えれば自動的に速くなるわけではありません。新しい用具の特性に合わせ、身体の使い方や滑走技術を調整する必要があります。
第三の要素は、長期的な競技力の維持です。ワールドカップや世界距離別選手権で継続的に結果を残すには、一度の好記録だけでは足りません。スタートの精度、レース全体の滑走、体調管理、試合に向けた準備を積み重ねることが必要です。
幼少期から気管支喘息を患いながらトップアスリートとして活躍した経歴も、清水さんを特徴付ける要素の一つです。ただし、喘息という病気だけを強さの理由に結び付けるのは適切ではありません。競技技術の工夫と継続的な鍛錬、そして自身の身体と向き合う姿勢を合わせて見ることが重要です。
【引退後の活動】なぜ金メダリストは介護施設とスポーツジムを始めたのか
清水宏保さんは2010年3月に現役を引退しました。引退後に選んだ道は、競技解説や講演活動だけではありません。医療経営を学び、リハビリや高齢者の生活支援を軸とする健康関連事業に取り組むようになりました。
その背景については、北海道の企業情報サイト「ジョブキタ」や「求人ボックスジャーナル」などのインタビュー記事で紹介されています。清水さんは引退後のキャリアを考える中で日本大学大学院に進み、医療経営学を学びました。競技者としての経験を、引退後の仕事や社会への貢献につなげる方法を模索した経緯がうかがえます。
介護とフィットネスを組み合わせた事業には、運動やリハビリを身近なものにするという発想があります。体力の維持や日常生活の機能向上を目指す人にとって、身体を動かすことは健康管理の重要な要素です。一方、介護サービスは利用者の状態や生活環境に応じた支援が求められ、一般的なスポーツジムとは異なる専門性も必要になります。
株式会社two.sevenが展開してきた事業には、リハビリ型通所介護施設、訪問看護ステーション、サービス付き高齢者向け住宅、フィットネススタジオなどがあります。これらは、運動施設だけで完結するものではなく、在宅生活の支援や高齢者の暮らしにも関係する分野です。
実業家としての実態を理解するには、経営の難しさにも目を向ける必要があります。2022年の「文春オンライン」のインタビューでは、清水さんはコロナ禍で事業が大きな影響を受けたことや、介護・医療関連の収入は制度に基づくため、事業規模の拡大がそのまま大きな利益につながるわけではないことを説明しています。
介護分野は、施設の設備や資金だけで運営できる事業ではありません。利用者への支援を担う人材の確保、サービスの質、制度への対応、地域との関係づくりが欠かせません。清水さんの事業を評価する際も、金メダリストという知名度だけでなく、こうした日常的な運営の積み重ねに注目する必要があります。
【医学博士取得の経緯】弘前大学で2023年に博士(医学)を取得
清水宏保さんの引退後の経歴で、特に注目されるのが医学分野での学位取得です。日本大学大学院で医療経営学を学んだ後、2015年に弘前大学大学院医学研究科の博士課程に進学し、2023年に修了して博士(医学)を取得しました。講師紹介サイト「システムブレーン」などの経歴情報にも、この学歴が記載されています。
競技引退後に大学院へ進むことは、単なる肩書の追加とは異なります。スポーツの現場で培った身体への理解を、医療や健康に関する学術的な学びにつなげる選択です。清水さんの場合、医療経営を学んだ経験と、介護・リハビリ事業を経営してきた経験が、健康分野での活動と結び付いています。
ただし、ここで混同してはいけないのが「博士(医学)」と「医師免許」の違いです。博士(医学)は大学院で研究を行い、所定の要件を満たして取得する学位です。この学位を取得したこと自体が、医師国家試験への合格や医師免許の取得を意味するわけではありません。
そのため、清水さんを紹介する際には「医学博士」といった通称だけに注目するのではなく、弘前大学大学院で博士課程を修了した研究者としての経歴と、健康関連事業を担う経営者としての役割を分けて理解することが大切です。
また、弘前大学の特別招聘教授などの教育関連の肩書も紹介されています。現役時代の競技経験を、講演や教育、健康に関する事業へと広げてきた点は、引退後のキャリアを考えるうえでも特徴的です。
アスリートのキャリアは、現役時代の成績だけでその後の可能性が決まるものではありません。競技生活で得た知識や経験を、大学院での学びや事業の現場でどのように生かすか。清水さんの歩みは、競技引退後に専門性を積み上げる一つの事例といえます。
【太ももチャンネルと日産GT-R NISMO】競技以外の発信活動にも注目
清水宏保さんの活動は、介護事業や大学での活動だけではありません。インターネット上では、YouTubeチャンネル「清水宏保 太ももチャンネル」でも知られています。競技生活で培った経験を中心とする活動とは別に、車などの趣味に関する動画も公開されています。
その一例が、日産GT-R NISMOに関する動画です。公開動画には、ステルスグレーのGT-R NISMOの納車を取り上げたものがあります。オリンピックのメダルや世界記録とは異なる一面を知ることができ、清水さんの人物像を広く伝える発信活動の一つとなっています。
ただし、こうした趣味の発信と、会社の経営や大学での活動は、同じものとして扱わないほうがよいでしょう。動画に登場する車は趣味やコンテンツの話題であり、それだけで事業の収益や経営状況を判断することはできません。
清水さんのように、スポーツの実績を持つ人物が引退後も発信を続けることには、競技のファンとの接点を保つ意味があります。講演やメディア出演、SNS、動画など、活動の場を複数持つことで、スポーツ以外の分野に関心を持つ人にも自分の経験を伝えられます。
一方、インターネット上のプロフィールや紹介記事は、公開された時期によって肩書や事業内容が異なる場合があります。2026年現在の活動を知りたい場合は、過去の競技成績、現在の法人での役職、大学での肩書、動画などの個人発信を、それぞれ別の情報として確認するのが適切です。
【スケート清水宏保】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:清水宏保は現在何をしているのですか?
A1:主に健康関連事業の経営に携わっています。株式会社two.sevenでは2024年1月に代表取締役会長に就任したと紹介されており、介護・リハビリ・訪問看護・高齢者住宅・フィットネスなどの事業を展開してきました。講演やメディアでの発信、教育分野での活動も行っています。
Q2:清水宏保のオリンピックのメダルは何個ですか?
A2:合計3個です。1998年の長野五輪で男子500mの金メダルと1000mの銅メダルを獲得し、2002年のソルトレークシティ五輪では男子500mで銀メダルを獲得しました。
Q3:清水宏保が取得した医学博士とは、医師免許のことですか?
A3:違います。清水さんは2023年に弘前大学大学院医学研究科の博士課程を修了し、博士(医学)を取得しました。これは学術上の学位であり、それ自体が医師免許の取得を意味するものではありません。
清水宏保さんは、長野オリンピックの男子500m金メダル、男子1000m銅メダル、ソルトレークシティ五輪の500m銀メダルをはじめ、世界記録の更新やワールドカップでの活躍によって、日本のスピードスケート史に残る実績を築きました。
2010年の現役引退後は、医療経営学を学び、介護・リハビリ・フィットネス事業へと活動を広げました。加えて、2023年には弘前大学大学院で博士(医学)を取得しています。競技者として培った経験を、健康や高齢者支援の分野につなげてきたことが、現在のキャリアを理解する要点です。
清水さんの現在を評価する際には、五輪での功績、大学院で取得した学位、企業経営の実態、メディアでの発信をそれぞれ区別して見ることが大切です。金メダリストという過去の実績だけでも、医学博士という肩書だけでも、現在の活動の全体像はつかめません。
世界の頂点を目指した競技人生から、地域の人々の健康を支える事業へ。清水宏保さんの歩みは、アスリートの引退がキャリアの終着点ではなく、新しい専門性や社会的な役割を築く出発点にもなり得ることを示しています。