「マツケンサンバII」の振付師は、ダンサーとしても活躍した真島茂樹(まじま・しげき)さんです。金色の衣装に身を包んだ松平健さんが華やかに踊るステージを支えたのは、長年レビューの世界で技術を磨いてきた真島さんの発想と表現力でした。振付はほぼ1日で完成したと本人が語っており、その誕生秘話には、松平さんとの長年の交流や、日劇ダンシングチームで培った経験が深く関係しています。
真島さんは2024年5月22日、77歳で亡くなりました。しかし、2026年現在も松平さんのコンサートが各地で予定され、SNSを通じた再評価も続いています。ここでは、日本香堂のウェブマガジン「フレグラボ」に掲載された真島さん本人のインタビュー、所属事務所の訃報発表、松平健さんの公式サイト、報道各社の情報をもとに、経歴から振付の制作秘話、訃報後の活動、人気が続く理由まで詳しく解説します。
【結論】マツケンサンバIIの振付師は真島茂樹!ダンサーとしても輝いた人物

「マツケンサンバII」の振付を担当した真島茂樹さんは、長年にわたって舞台で活躍してきたプロのダンサーであり、振付師、俳優、歌手としても活動した人物です。
2004年に「マツケンサンバII」が大きなブームを巻き起こすと、真島さん自身もダンサーとして注目されるようになりました。特に、曲の間奏で披露するキレのあるダンスや、華やかなステージに負けない存在感が人気を集め、「マジー」の愛称で親しまれました。
真島さんの仕事は、単に松平さんの動きを考えることだけではありません。大勢のダンサーが登場する群舞、観客を引き込むステージの展開、サンバらしい華やかさを生み出す小道具まで、ショー全体の見せ方を考えていました。
日本香堂のウェブマガジン「フレグラボ」に掲載された2024年1月のインタビューでは、真島さんが振付の誕生経緯を詳しく説明しています。そこで明らかになったのは、楽曲を聴いて感じた勢いを素早く動きに変える感性と、レビューの舞台で身につけた演出力でした。
「マツケンサンバII」が今も印象に残る理由は、楽曲の力だけではありません。松平さんのスター性、真島さんの振付、群舞と衣装の華やかさが一体となって、誰が見ても楽しめるショーを完成させた点にあります。
【経歴とプロフィール】日劇ダンシングチームからトップダンサーへ
真島茂樹さんは1947年3月22日生まれ、栃木県宇都宮市出身。幼い頃からダンスに親しみ、クラシックバレエなどを学んだ後、レビューの世界へ進みました。
芸能界でのキャリアを語るうえで欠かせないのが、日劇ダンシングチームです。東京・有楽町の日本劇場を拠点としたレビュー文化を支えたダンス集団で、真島さんは1964年に入団。舞台経験を積み、1970年代にはスター格のダンサーとして活躍しました。
1981年に日本劇場が閉館すると、日劇ダンシングチームも解散。その後はダンス講師や振付師として活動するほか、ミュージカルなどの舞台にも出演しました。「マツケンサンバII」で広く知られるようになる以前から、舞台芸術の世界で実績を積み重ねていたのです。
プロフィールと主な経歴を整理すると、次のようになります。
| 時期・項目 | 内容 | 主な実績・備考 |
|---|---|---|
| 1947年3月22日 | 栃木県宇都宮市に生まれる | ダンサー・振付師として活動 |
| 1964年 | 日劇ダンシングチームに入団 | レビューの舞台で経験を積む |
| 1972年 | 芸名を真島茂樹に改める | 舞台での活動を継続 |
| 1981年 | 日本劇場の閉館に伴いチームが解散 | 以後、講師・振付師・舞台出演などで活躍 |
| 2004年 | 「マツケンサンバII」が大ヒット | 振付師としての知名度が全国に広がる |
| 2005年 | シングル「花吹雪 不夜恋」を発表 | 歌手としても活動 |
| 2021年 | 第72回NHK紅白歌合戦に出演 | 「マツケンサンバII」の腰元ダンサーズとして参加 |
| 2024年5月22日 | 77歳で死去 | 所属事務所が虚血性心不全と発表 |
舞台での代表的な出演作には、「屋根の上のヴァイオリン弾き」「王様と私」「ラ・カージュ・オ・フォール」などがあります。ダンスだけでなく、歌や演技を含む総合的な舞台表現を経験してきたことが、後の振付にも生かされました。
また、真島さんは「マツケンサンバII」以外にも「マツケン・アスレチカ」や「ドラえもん音頭」、映画「プリキュアオールスターズ」の振付などを手がけています。華やかなレビューから親しみやすい大衆向けのダンスまで、幅広い作品に携わったことも実績の一つです。
【誕生秘話】振付はほぼ1日!松平健との関係と制作の舞台裏
「マツケンサンバII」の振付が生まれたきっかけは、松平健さんからの直接の依頼でした。二人は仕事を通じて関係を深めており、松平さんは若い頃から日劇や宝塚歌劇、松竹歌劇団(SKD)などのレビューを好んで観劇していたと、真島さんはインタビューで振り返っています。
真島さんによると、1997年頃、国立劇場で日本舞踊の会があった後、松平さんが楽屋を訪れ、その後一緒に出かけた際に「マツケンサンバ」という曲の音源を取り出しました。そして、真島さんに「日劇風に好きなように踊りをつくってほしい」と依頼したといいます。
ここで重要なのは、松平さんが求めたのが、一般的なサンバの動きをそのまま再現する振付ではなかったことです。日劇のレビューのような豪華なショーとして見せることが、制作の方向性になりました。
真島さんはインタビューで、楽曲を聴いたときの感覚について「一番大事なのは音。音に触発されて体が動くのね」と説明しています。振付はほぼ1日で完成し、依頼から4日後には築地の寺にある稽古場でダンサーたちへの指導を始めていたそうです。
短期間で形にできた背景には、日劇で長年培った舞台経験がありました。音楽を聴きながら動きを組み立て、集団の配置を考え、スターが登場するまでの流れを作る。こうした技術は、長年の実践によって身についたものです。
振付の細部にも、真島さんらしい発想が反映されています。腰元ダンサーズが手に持つ棒について、従来の紅白や金色を基調とした小道具にキラキラした房を加え、「サンバ棒」として華やかさを強める工夫をしました。
男性ダンサーの指導では、もともと殺陣を中心に活動していた人たちもいたため、ダンス経験のある元宝塚歌劇団の出演者がマンツーマンで教える場面もあったといいます。振付を作るだけでなく、出演者が実際に踊れるように仕上げるまでが制作の仕事でした。
松平さんが「僕も腰を振るの?」と尋ねた際、真島さんは「バンバン振ってもらいます」と答えたというエピソードも残っています。スターの登場を後半まで引っ張り、群舞で会場の熱気を高めてから松平さんを登場させる構成は、レビューの演出そのものです。
つまり、ほぼ1日で完成したという話は、簡単に作ったという意味ではありません。長年の経験によって培われた身体感覚と演出技術が、短い制作時間のなかで一つの完成形になったことを示しています。
【評判と実績】なぜマジーは振付師として評価されたのか
真島茂樹さんの評価を考えるうえで注目したいのは、振付師でありながら、自身もパフォーマーとして作品に参加していた点です。「マツケンサンバII」では振付を担当するだけでなく、間奏などで印象的なダンスを披露し、観客から歓声を浴びました。
振付師が舞台に立つことで、作品の魅力を自ら伝えられる。真島さんは、ダンスの技術を見せるだけでなく、観客が思わず笑顔になるような表現や、ステージ全体の盛り上がりを生み出す役割も担っていました。
松平さんは2024年5月、真島さんの訃報を受けて追悼コメントを発表しています。その中で、真島さんについて、周囲に気を配る一方、振付の指導ではプロとして厳しく、仕事が終わると明るく優しい人柄だったと振り返りました。
このコメントからも、真島さんが単に個性的なキャラクターで人気を得たのではなく、現場で信頼される専門職として仕事に向き合っていたことがうかがえます。
2004年のヒット以降はテレビのバラエティー番組などにも出演し、親しみやすいキャラクターで幅広い層に知られるようになりました。2005年には歌手デビューを果たし、2006年にはお笑いコンビ「レギュラー」とのユニット「マジーとレギュラー」でも活動しています。
加えて、2023年にはK-POPグループJO1とのコラボレーションが話題になり、主演映画「Me?Xavier!」にも出演しました。亡くなる前年まで、新しいジャンルの表現に挑戦していたことは、真島さんの活動を振り返るうえで見逃せません。
「マジー」という愛称も、真島さんの知名度を支えた要素の一つです。報道やプロフィール資料では広く使われていますが、その命名の由来を一つに特定できる公式説明は明確ではありません。松平さんも追悼コメントで「マジ」と呼びかけており、二人の長い関係を感じさせます。
【2024年5月22日の訃報】死因と松平健が伝えた追悼の言葉
真島茂樹さんは、2024年5月22日午後10時38分、虚血性心不全のため77歳で亡くなりました。所属事務所の三喜プロモーションが翌23日に発表し、テレビ朝日系ニュースやTBS NEWS DIG、ORICON NEWSなども訃報を伝えました。
所属事務所の発表によると、真島さんは亡くなる前日まで仕事をしていたといいます。突然の訃報は、長年の仕事仲間やファンに大きな衝撃を与えました。真島さんは亡くなる直前まで、舞台に立ち続けることを大切にしていました。
所属事務所は、真島さんが「一生踊り子」という言葉を胸にレビューの道を歩み続けたことにも触れています。幼い頃から抱いていた夢を実現させ、ダンサーとしての生き方を貫いたことが、公式発表の中でも強調されました。
松平健さんも、所属事務所を通じて追悼コメントを発表しました。真島さんへの敬意を示すとともに、長年苦楽を共にして作り上げた作品を、これからも多くの人に楽しんでもらえるよう歌って踊り続けたいという思いを伝えています。
真島さんは、2024年5月25日に予定されていた「マツケンサンバコンサート2024」にゲスト出演する予定でした。訃報は、まさにステージを目前に控えた時期に伝えられたものでした。
葬儀・告別式は遺族の意向により近親者のみで執り行うと発表され、所属事務所は後日「お別れの会」を予定していると説明しました。
真島さんの死去後も、振付そのものが失われたわけではありません。作品は映像や舞台を通じて残り、松平さんをはじめとする出演者が披露することで、新しい観客にも届けられています。振付師本人がいなくなった後も、身体表現として作品が受け継がれることは、舞台芸術の大きな特徴です。
【2026年最新】マツケンサンバIIの人気が再燃し続ける理由
「マツケンサンバII」は、2004年の大ヒットで終わった楽曲ではありません。2021年にはSNSを中心に再び注目を集め、同年の第72回NHK紅白歌合戦では特別企画として披露されました。真島さんも腰元ダンサーズの振付を担当し、自身も出演しています。
再評価のきっかけの一つとして挙げられるのが、2021年夏の東京オリンピックをめぐるSNS上の反応です。開会式・閉会式で「マツケンサンバII」を見たいという声が広がり、日刊スポーツはNHK関係者がSNSの影響の大きさを認めたことを報じました。
また、同年3月に放送されたテレビ朝日系「関ジャム 完全燃SHOW」で、音楽プロデューサーのヒャダインさんが同曲を取り上げたことも、再評価の流れを説明する材料として報じられています。独特の楽曲構成と、理屈抜きに楽しめるパフォーマンスが、改めて話題になりました。
人気が続く理由は、大きく三つあります。
第一に、視覚的なインパクトです。金色の衣装、華やかな照明、集団で踊る腰元ダンサーズ、そして松平さんの堂々とした登場。音楽を知らなくても、映像を見ただけで作品の世界観が伝わります。
第二に、参加しやすい振付です。細かなダンス技術を披露する部分がある一方、手や腰を動かすなど、観客もまねしやすい動きが組み込まれています。舞台を眺めるだけでなく、一緒に踊る楽しさが生まれやすいのです。
第三に、世代を超えて共有できる楽しさです。時代劇スターのイメージと、きらびやかなサンバの組み合わせは強烈なギャップを生み出します。その分かりやすさが、テレビやSNSの短い動画でも魅力として伝わりやすく、若い世代にも広がりました。
2023年にはJO1とのコラボレーションも話題になり、真島さん自身が新しい世代のアーティストと共演しました。こうした動きは、過去のヒット曲を懐かしむだけでなく、異なる世代の表現者が作品を再解釈する機会にもなっています。
そして2026年10月26日現在、松平健さんの公式サイトには「マツケンサンバコンサート2026」の公演予定が掲載されています。今後の公演として、11月21日の新潟県民会館、11月22日の富山・ミントゥ井波文化ホール、12月19日のザ・ヒロサワ・シティ会館、12月20日の小山市立文化センターなどが案内されています。
これらは松平さんの公式サイトに掲載された公演情報であり、各公演の最新の開演時間やチケット情報は会場・主催者の案内を確認する必要があります。少なくとも、2026年にもコンサートが各地で予定されていることは、楽曲を含むステージの人気が現在まで続いていることを示しています。
【功績と誤解の整理】振付師の現在と作品に残したもの
真島茂樹さんについて調べる際に、整理しておきたい点があります。それは、「振付師としての真島さん」と「舞台に立つパフォーマーとしての真島さん」を切り離さないことです。
真島さんは振付を考えるだけでなく、自ら踊り、舞台の空気を作り、観客の反応を引き出していました。「マツケンサンバII」の魅力を振付だけで説明しきれないのは、楽曲、衣装、照明、群舞、松平さんの演技と歌唱が一体となっているためです。
また、「振付がほぼ1日でできた」というエピソードも、短時間で誰にでも作れるという意味ではありません。本人のインタビューでは、日劇風のショーを作るという明確な依頼があり、楽曲を聴いて身体が動く感覚から振付が生まれたことが語られています。完成までの速さは、長年の経験があってこそのものでした。
「マツケンサンバII」の制作に関わった人物についても、役割を区別する必要があります。松平健さんは歌唱とステージの中心を担い、真島さんは振付や群舞の構成を担当しました。楽曲の作曲は宮川彬良さんです。それぞれの仕事が重なり合うことで、あの独特のショーが成立しました。
加えて、真島さんの功績は2004年のヒットだけにとどまりません。日劇で培ったレビューの技術を後世に伝え、ミュージカルやテレビ、映画、歌手活動などを通じて幅広い表現に携わりました。作品の知名度に比べ、こうしたキャリアの全体像は見落とされがちです。
2026年現在、真島さん本人の新しい活動はありません。しかし、松平さんのコンサートで楽曲が披露され、映像を通じて振付が共有されるたびに、その仕事は新たな観客へ届いています。故人の現在を語る際には、本人が今も活動しているかのように扱うのではなく、残された作品がどう受け継がれているかを見ることが大切です。
【プロの結論】真島茂樹が「マツケンサンバII」に残した本当の価値
真島茂樹さんの功績を評価する際、注目したいのは、レビューという舞台芸術の技術を、誰もが楽しめる大衆的なエンターテインメントへと昇華させた点です。
レビューには、スターの登場、群舞の構成、衣装や小道具、照明、観客の視線を集める演出など、複数の要素が必要です。真島さんは、日劇ダンシングチームで培った経験を生かし、これらの要素を「マツケンサンバII」の振付とステージ構成に反映させました。
その結果、作品は歌手やダンサーだけが楽しむものではなく、観客も一緒に踊り、笑顔になれるショーになりました。SNS時代に再評価されたことも、見た瞬間に伝わる華やかさと、まねして参加できる分かりやすさがあったからです。
また、2021年の紅白歌合戦や2023年のJO1とのコラボレーションは、作品が時代や世代を越えて展開できることを示しました。2026年にも松平さんのコンサートが予定されていることから、「マツケンサンバII」は過去のヒット曲という枠を超え、現在も披露され続ける舞台作品として存在感を保っています。
真島さんが残したものは、振付の手順だけではありません。観客を楽しませるために何を見せ、どこで盛り上げ、どうすれば舞台と客席が一体になるのか。その考え方こそ、今も作品の中に生き続けています。
【マツケンサンバ振付師】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:「マツケンサンバII」の振付師は誰ですか?
A1:ダンサー・振付師の真島茂樹さんです。日劇ダンシングチームで経験を積み、松平健さんからの依頼を受けて振付を手がけました。真島さん自身もダンサーとしてステージに出演しています。
Q2:マツケンサンバIIの振付は本当に1日で完成したのですか?
A2:はい。真島さん本人が、日本香堂のウェブマガジン「フレグラボ」のインタビューで、振付はほぼ1日でできたと語っています。松平さんからの依頼を受けて楽曲を聴き、音に触発されて動きを組み立てたそうです。
Q3:真島茂樹さんはいつ、何歳で亡くなりましたか?
A3:2024年5月22日午後10時38分、77歳で亡くなりました。所属事務所は死因を虚血性心不全と発表しています。
Q4:真島茂樹さんの愛称「マジー」の由来は何ですか?
A4:「マジー」は真島さんの愛称として広く知られています。ただし、命名の由来を一つに特定できる公式説明は明確ではありません。松平健さんも追悼コメントで、親しみを込めて「マジ」と呼んでいました。
Q5:真島茂樹さんはNHK紅白歌合戦に出演しましたか?
A5:はい。2021年の第72回NHK紅白歌合戦では、特別企画で披露された「マツケンサンバII」の腰元ダンサーズの振付を担当し、自身も出演しました。過去には美川憲一さんの楽曲の振付などでも紅白に関わっています。
Q6:2026年現在もマツケンサンバIIは人気がありますか?
A6:2026年にも松平健さんの「マツケンサンバコンサート2026」が各地で予定されています。2021年のSNSでの再注目や紅白歌合戦での披露、2023年のJO1とのコラボレーションなどを経て、楽曲は世代を越えて親しまれています。
Q7:2026年現在、真島茂樹さんは活動していますか?
A7:真島さんは2024年5月22日に亡くなっているため、現在の本人の活動はありません。一方、振付を手がけた「マツケンサンバII」は松平さんのコンサートなどで披露され、真島さんの仕事は作品を通じて受け継がれています。
「マツケンサンバII」の振付師・真島茂樹さんは、日劇ダンシングチームで磨いた技術と、長年の舞台経験を生かして、日本のエンターテインメント史に残るショーを作り上げました。ほぼ1日で振付を完成させたというエピソードは、豊かな経験と音楽への感性が結びついた結果です。
2024年5月22日の訃報は大きな悲しみをもたらしましたが、真島さんが松平健さんと作り上げた作品は、今も多くの人に楽しまれています。2026年にもコンサートが各地で予定され、SNSや世代を越えたコラボレーションを通じて、楽曲の魅力は新たな形で広がっています。
真島さんの功績を知るうえで大切なのは、「マツケンサンバII」の振付だけに注目するのではなく、レビューの世界で培った技術、舞台全体を盛り上げる演出力、そして生涯ダンサーとして表現を続けた姿勢まで見ることです。華やかなステージの向こうには、一人のプロフェッショナルが積み重ねた長いキャリアがありました。
松平健さんが歌い踊り続ける限り、「マツケンサンバII」は新しい観客と出会い続けます。そのたびに、振付を生み出した真島茂樹さんの仕事も、舞台の中で輝き続けるはずです。