長嶋一茂のホームランは、プロ野球の公式戦で通算何本だったのか。現役時代の豪快な本塁打や、ヤクルト入団直後に記録したプロ初安打の名場面、そして2025年の「24時間テレビ48」で挑戦した能登へのチャリティーホームランまで、気になっている人は少なくないはずだ。
日本野球機構(NPB)の公式記録によると、長嶋一茂のプロ野球公式戦通算成績は384試合、18本塁打、161安打、打率.210。一方、東京六大学野球で存在感を示した大学時代や、プロ初安打がそのまま本塁打になった1988年の衝撃的なデビュー、2025年に能登の子どもたちへの支援を目的として行われたチャリティー企画には、数字だけでは伝わらない物語がある。2026年10月時点の最新情報も踏まえ、選手時代の実績と引退後の挑戦を分けて整理する。
【プロ初安打が初ホームラン】1988年4月27日に生まれた伝説の一打

長嶋一茂のホームランを語るうえで、最初に振り返りたいのが1988年4月27日のヤクルト対巨人戦だ。舞台は神宮球場。ヤクルトの新人だった一茂は、巨人の右腕ビル・ガリクソンを相手に、プロ野球人生を象徴する一打を放った。
週刊ベースボールONLINEなどの野球専門メディアが紹介している当時の記録によると、一茂は6回裏一死から代打で登場。2ボール2ストライクからの5球目を捉え、打球をバックスクリーン方向へ運んだ。これがプロ初安打であると同時に、初本塁打、初打点となった。
つまり、長嶋一茂の「プロ初安打」と「プロ初ホームラン」は、別々の試合で生まれた記録ではない。同じ打席で達成された、ひとつの歴史的な出来事だ。
当時は、父である長嶋茂雄が「ミスタープロ野球」として絶大な知名度を誇っていた時代。東京六大学野球で注目された長男が、プロの舞台でもいきなり本塁打を放ったことで、ファンの期待は一気に高まった。
週刊ベースボールONLINEの記事では、この一打が生まれた当日の熱気や、記念のボールをめぐるエピソードも紹介されている。初安打が本塁打という鮮烈なスタートは、長嶋一茂の野球人生を振り返る際に欠かせない名場面となった。
【通算ホームランは18本】ヤクルト時代と巨人時代の成績を比較
では、プロ初本塁打の鮮烈な印象に対して、実際の現役時代の成績はどうだったのか。NPB公式サイトの個人年度別成績を確認すると、長嶋一茂の一軍公式戦通算本塁打は18本。プロ在籍期間中、ヤクルトと巨人の2球団でプレーした。
年度別の成績を整理すると、ヤクルト時代は1988年から1991年までの4シーズンで13本塁打。1993年に巨人へ移籍した後は、1993年、1994年、1996年に計5本塁打を記録している。
| 年度 | 所属球団 | 出場試合 | 本塁打 | 打率 |
|---|---|---|---|---|
| 1988年 | ヤクルト | 88試合 | 4本 | .203 |
| 1989年 | ヤクルト | 69試合 | 4本 | .250 |
| 1990年 | ヤクルト | 35試合 | 1本 | .167 |
| 1991年 | ヤクルト | 67試合 | 4本 | .221 |
| 1993年 | 巨人 | 56試合 | 1本 | .216 |
| 1994年 | 巨人 | 46試合 | 1本 | .172 |
| 1996年 | 巨人 | 23試合 | 3本 | .143 |
| 通算 | 2球団 | 384試合 | 18本 | .210 |
出典:日本野球機構(NPB)公式サイト「個人年度別成績」。打率はNPB掲載値。1992年と1995年は一軍の年度別打撃成績に記載がない。
数字から読み取れるのは、一茂がプロ入り直後から一定の出場機会を得ていた一方、本塁打を継続的に量産する打者にはなれなかったという事実だ。1988年と1989年にはそれぞれ4本塁打を記録したものの、シーズンを通じた打率は安定せず、通算打率は.210にとどまった。
ここで大切なのは、18本という数字だけで選手としてのすべてを判断しないことだ。プロ初本塁打のインパクト、大学時代からの知名度、守備や走塁を含めたプレー全体への期待と、長いシーズンを通じて残した公式成績は、分けて評価する必要がある。
【東京六大学野球からプロへ】長嶋一茂が背負った大きな期待
長嶋一茂は、プロ野球に入る前から野球ファンに知られた存在だった。立教大学では東京六大学野球リーグでプレーし、4年間のリーグ戦で11本塁打を記録。スポーツ専門メディアのSportivaは、当時の一茂について、恵まれた体格に加えて肩の強さや脚力も備え、東京六大学野球を代表する注目選手の一人だったと振り返っている。
1987年のドラフトでは2球団から1位指名を受け、ヤクルトに入団。背番号3を背負い、神宮球場を舞台にプロとしての第一歩を踏み出した。大学時代の実績に加え、長嶋茂雄の長男という知名度もあり、入団時から注目度は非常に高かった。
ただし、大学野球での成功が、そのままプロ野球での成功を保証するわけではない。東京六大学野球で4年間に11本塁打を放ったことは確かな実績だが、プロでは投手の球威や変化球の精度、配球の組み立て、対戦相手による分析など、求められる対応力が大きく変わる。
一茂の場合、プロ初本塁打があまりにも鮮烈だったため、入団時の期待はさらに膨らんだ。その後の成績がこの期待に追いつかなかったことが、現役時代の評価を難しくしている。単に「大学で活躍した二世選手」と片づけるよりも、実績を持って入団しながら、プロの舞台で期待された打者像を確立できなかった選手と捉えるほうが、記録に即した見方になる。
【現役時代のホームラン動画】初本塁打の映像と「目をつぶって打った」の真相
長嶋一茂の現役時代のホームラン動画を探す人にとって、最も注目したいのは1988年4月27日のプロ初本塁打だ。巨人のガリクソンから放ったバックスクリーンへの一発は、本人のキャリアを象徴する打球として、野球専門メディアの名場面企画でも繰り返し取り上げられている。
この本塁打には、本人の振り返りも残っている。Advertimesのインタビュー記事で、一茂は当時の打席について、目をつぶって打ったような感覚だったと語っている。バックスクリーンまで飛んだ打球の感触も、本人には不思議なものとして記憶されていた。
もちろん、この発言を文字どおり「偶然だけで打った」と解釈するのは早計だ。本人が当時の感覚をユーモラスに振り返ったものであり、実際の打球はプロの投手が投げた球を捉え、フェンスを越える飛距離を生み出した結果である。印象的なコメントと、競技記録としての本塁打は区別して受け止めたい。
動画を視聴する際は、打球が飛んでいく場面だけでなく、打席に入る状況、カウント、投手、打球方向にも注目すると、名場面の意味がより明確になる。映像検索では「長嶋一茂 プロ初ホームラン」「長嶋一茂 現役時代のホームラン」「長嶋一茂 プロ初安打 1988年」などの語句が手掛かりになる。
なお、動画投稿サイトにある映像は、公式映像、報道番組の切り抜き、第三者による編集動画などが混在している。映像のタイトルだけで内容を判断せず、対戦相手や撮影時期、実況内容が記録と合致するかを確認することが、当時のプレーを正確に理解する近道だ。
【落合博満はどう評価した?】長嶋茂雄との比較で見落とせないこと
長嶋一茂の野球選手時代の評判を語る際、しばしば話題になるのが、野球界の大打者だった落合博満の評価だ。ライブドアニュースが紹介した落合氏と一茂の対談では、落合氏が一茂に対し、もっと練習していれば父親を超えたと思う、という趣旨の発言をしたと報じられている。
この言葉は、一茂に対する打撃の素質への評価として注目されてきた。ただし、これは落合氏が本人に語った見解であり、練習量と将来の成績との因果関係を証明するデータではない。「父親を超えられた」という仮定を、実際に達成できたはずの記録として扱うこともできない。
父・長嶋茂雄との比較では、まず現役時代の実績を分けて見る必要がある。茂雄は巨人の中心打者として長年にわたり活躍した一方、一茂はプロ7シーズンで通算18本塁打という成績を残して引退した。両者は同じ「長嶋」の姓を持つが、所属した時代、チーム内で担った役割、キャリアの長さは異なる。
一茂の初本塁打が父親より早い打席で生まれたことも、比較を盛り上げる材料になった。しかし、初安打や初本塁打までの打席数と、通算本塁打、打率、出場試合数は別の評価軸だ。最初の一打で父を上回るような印象を与えたとしても、それだけで長期的な選手としての優劣が決まるわけではない。
一茂の野球選手時代を公平に見るなら、大学時代に示した長打力、プロ初本塁打の鮮烈さ、そしてプロ通算成績の3つを同時に押さえる必要がある。素質への高い評価と、公式記録に残った実績は、必ずしも矛盾するものではない。
【2025年24時間テレビ48】能登に届けたチャリティーホームランの経緯と2026年最新情報
長嶋一茂のホームランが再び大きな話題となったのが、2025年8月30日・31日に放送された日本テレビ系「24時間テレビ48」だ。一茂はチャリティーパートナーとして参加し、能登の子どもたちを支援するための「能登に届け!チャリティーホームラン」に挑戦した。
日本テレビの番組公式発表によると、一茂は前年に続いて能登を訪問。地震の被害を受け、十分な環境でスポーツを楽しめない子どもたちや、子どもたちを支えるボランティア団体の活動に触れたことが、企画につながった。野球を通じて子どもたちを応援したいという考えから、ホームランの数に応じて寄付を行う仕組みが企画された。
当初の告知では、ホームラン1本につき1万円を寄付し、最大500球、500万円を目指す内容だった。加えて、糸井嘉男、内川聖一、西岡剛、元木大介、アレックス・ラミレス、ティモンディ高岸らが参加し、「一茂JAPAN」として企画を盛り上げた。
放送内容を紹介したテレビ情報サイトなどによると、企画全体の最終結果は62本塁打、寄付総額108万円。番組中には寄付のルール変更もあり、最終的な寄付額は当初の単純な「本塁打数×1万円」とは異なる結果になった。62本は企画全体の数字であり、長嶋一茂個人のプロ野球通算本塁打や、本人だけが放った本数を示す数字ではない。
この挑戦で注目したいのは、ホームランの本数だけではなく、企画終了後の支援だ。日本テレビの公式アフターストーリーによると、企画を通じて集まった寄付金などを活用し、石川県の輪島市、珠洲市、能登町、穴水町にある奥能登地区の学童野球チーム5チームに、ボールやバット、練習用ネットなどの野球道具が届けられた。
加えて、番組の寄付金による支援は奥能登地区だけにとどまらず、中能登地区の11チームを加えた計16チームに、およそ400万円の支援が行われたと公式記事は伝えている。チャリティー企画の成果は、テレビ中継で放たれた本数だけでは測れない。子どもたちが実際に練習を続けるための道具や環境につながった点に、この企画の意義がある。
では、2026年はどうなっているのか。2026年10月時点で、日本テレビが公表している「24時間テレビ49」の公式出演者情報では、長嶋一茂はチャリティーパートナーとして掲載されていない。同年の公式番組情報でも、2025年と同じチャリティーホームラン企画の継続を示す告知は確認できない。そのため、2026年にも一茂が同じ企画に挑戦したとする情報は、2025年の実績と混同しないよう注意したい。
2025年のチャリティーホームランは、プロ野球の公式戦とは目的も記録の扱いも異なる。NPB公式戦での通算18本塁打は変わらない一方、チャリティー企画では、現役時代に野球選手だった一茂が、その経験と知名度を子どもたちへの支援につなげた。両者を分けて理解することで、現役時代の実績と引退後の活動を正確に評価できる。
【長嶋一茂ホームラン】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:長嶋一茂のプロ野球通算ホームランは何本ですか?
A1:日本野球機構(NPB)の公式記録では、通算18本です。ヤクルト時代に13本、巨人時代に5本を記録しました。これは一軍公式戦の本塁打数で、チャリティー企画のホームランは含まれません。
Q2:長嶋一茂のプロ初ホームランはいつ、誰から打ったのですか?
A2:1988年4月27日、神宮球場で行われたヤクルト対巨人戦です。巨人のビル・ガリクソンからバックスクリーン方向へのソロ本塁打を放ちました。この一打がプロ初安打、初本塁打、初打点となりました。
Q3:2025年のチャリティーホームランでは何本打ち、いくら寄付されましたか?
A3:「24時間テレビ48」の企画全体では62本塁打、寄付総額108万円となりました。糸井嘉男や内川聖一らも参加しており、62本は一茂個人の記録ではありません。支援は能登の学童野球チームへの野球道具の提供などにつながりました。
Q4:長嶋一茂の2026年のホームラン企画はありますか?
A4:2026年10月時点で、日本テレビの公式出演者情報では、同年の「24時間テレビ49」に一茂がチャリティーパートナーとして掲載されていることや、前年と同じチャリティーホームラン企画が実施されたことは確認できません。2025年の企画実績と、2026年の新たな活動は分けて捉える必要があります。
長嶋一茂のホームランをめぐる話題には、現役時代の記録と、引退後に野球を通じて取り組んだ社会貢献という、異なる2つの側面がある。
プロ野球公式戦の通算成績は384試合、18本塁打、打率.210。1988年4月27日のプロ初安打が本塁打となった名場面は、大学時代から寄せられていた期待を一気に高めた出来事だった。一方、通算成績を見れば、初本塁打のような印象的な瞬間と、長期にわたる安定した打撃成績は別物であることも分かる。
2025年の「24時間テレビ48」では、能登の子どもたちを支援するチャリティーホームラン企画に挑戦。企画全体で62本塁打、寄付総額108万円という結果を残し、野球道具の提供など具体的な支援につなげた。ここで評価すべきなのは、現役時代の公式記録が増えたことではなく、野球の経験を被災地の子どもたちのために生かしたことだ。
長嶋一茂の野球人生を知るうえでは、初本塁打の映像だけでも、通算18本という数字だけでも、チャリティーの話題だけでも全体像はつかめない。大学時代の実績、プロでの成績、父・長嶋茂雄との比較、そして引退後の挑戦をそれぞれ整理して見ることが、記録と話題の両方を正しく理解するための判断基準となる。
2026年以降も新たな野球関連企画や支援活動が公表されれば、その内容と公式記録を区別して確認したい。長嶋一茂のホームランが人々の記憶に残る理由は、単なる本数だけでなく、プロ初打席期の鮮烈な一打と、野球を通じて社会に関わり続ける姿の双方にある。