宮本裕向(みやもと・ゆうこう)は、デスマッチを主戦場の一つとしながら、タッグ戦線や通常のプロレスでも実績を積み重ねてきた広島県出身のプロレスラーだ。1982年5月25日生まれで、暗黒プロレス組織666に所属。大日本プロレスのデスマッチヘビー級王座を3度獲得した経歴に加え、木髙イサミとのタッグチーム「ヤンキー二丁拳銃」や、プロレスリング・ノアへの参戦でも知られている。大日本プロレスとプロレスリング・ノアの公式プロフィールには、デビュー日や得意技、獲得タイトルなどが掲載されている。
2026年に注目されたのは、9月13日に広島県廿日市市吉和で開催された自主興行「宮本裕向のプロレス2026」だ。会場は母校の吉和小・中学校体育館。プロレスラーとしての実績を地元に還元する取り組みは、デスマッチファイターという肩書きだけでは捉えきれない宮本の活動を象徴している。この記事では、プロフィール、デビューの経緯、王座歴、得意技、各団体での活躍、2026年の地元興行までを整理する。
【プロフィール】宮本裕向は何歳?出身地・身長・デビュー日を整理

宮本裕向は、1982年5月25日生まれ。2026年10月26日時点で44歳となるプロレスラーだ。出身地は広島県佐伯郡吉和村で、現在の自治体名では広島県廿日市市吉和にあたる。
大日本プロレス、プロレスリング・ノア、暗黒プロレス組織666の各公式プロフィールでは、基本的な身体データやデビュー情報、タイトル歴が紹介されている。身長は175センチで共通している一方、体重は所属・参戦団体のプロフィールによって90キロまたは93キロと記載が異なる。
宮本裕向(Yuko Miyamoto)
プロレスラー/暗黒プロレス組織666所属
生年月日
1982年5月25日
年齢
出身地
身長
血液型
デビュー
出典:大日本プロレス、プロレスリング・ノア、暗黒プロレス組織666の公式プロフィール。
リング上の特徴を端的に表す呼び名が「デスマッチ・ヤンキー」だ。特攻服を取り入れたスタイルや、荒々しいファイトがキャラクターの印象を形づくっている。
ただし、宮本の評価をヤンキーという経歴やキャラクターだけで説明するのは不十分だ。大日本プロレスのデスマッチ王座、複数のタッグ王座、ZERO1のリーグ戦優勝など、異なるルールや競技環境で結果を残してきたことが、選手としての重要な特徴になっている。
【経歴・年表】宮本裕向のデビューから現在までを徹底整理
宮本がプロレスラーを志すきっかけについては、2009年のスポーツナビのインタビューに詳しい。
本人の説明によると、プロレスへの関心が強まったのは高校1年生だった1999年。1月4日の新日本プロレス東京ドーム大会をテレビで見て、プロレスラーという仕事に憧れを抱いたという。その後は一度就職したものの、やりたいことを考え直し、トレーニングを始めて入門テストを受けた。
2003年8月2日、WMFの徳島市立体育館大会で藤田峰雄を相手にデビュー。キャリアの初期から現在までの歩みを、主要な出来事に絞って整理すると次のようになる。
| 時期 | 主な出来事 | キャリア上の意味 |
|---|---|---|
| 1999年 | 新日本プロレスの東京ドーム大会をテレビで観戦 | プロレスラーを志すきっかけに |
| 2003年8月2日 | WMFで藤田峰雄を相手にデビュー | プロレスラーとしてのキャリアを開始 |
| 2006年ごろ | デスマッチ戦線に本格的に参入 | 現在の代名詞につながる活動を展開 |
| 2007年3月 | 大日本プロレスで佐々木貴のデスマッチ王座に初挑戦 | 王座戦線で存在感を高める |
| 2008年12月19日 | シャドウWXを破り、BJWデスマッチヘビー級王座を初戴冠 | デスマッチのトップ戦線に躍進 |
| 2012~2014年 | 木髙イサミと大日本最侠タッグリーグ戦を3年連続制覇 | タッグ選手としても実績を積む |
| 2018年7月 | ZERO1「火祭り」で優勝 | デスマッチ以外でも実力を証明 |
| 2021年9月5日 | ドリュー・パーカーを破り、デスマッチ王座に返り咲く | 通算3度目の戴冠 |
| 2022年5月5日 | 横浜武道館大会でドリュー・パーカーに敗れ、王座陥落 | 王者としての戦いに一区切り |
| 2026年9月13日 | 母校の吉和小・中学校体育館で自主興行を開催 | 地元とのつながりを生かした活動を展開 |
出典:大日本プロレス公式プロフィール、スポーツナビ、プロレスリング・ノア公式プロフィール、2026年の自主興行に関する報道。
特に重要なのは、デビューから約5年でデスマッチの最高峰の一つとされるBJW認定デスマッチヘビー級王座を獲得したことだ。2007年3月には当時の王者・佐々木貴に挑戦。建築現場を模した立体足場デスマッチで激闘を繰り広げたことが、翌年の初戴冠につながるキャリアの転換点となった。
2008年12月19日、横浜文化体育館大会ではシャドウWXを破って初戴冠。スポーツナビの試合報道によれば、有刺鉄線爆破ボードデスマッチでムーンサルトプレスを決めて勝利した。危険度の高い試合形式で結果を残し、若手の有望株からデスマッチの中心選手へと立場を変えていった。
その後は王座の奪還やタッグリーグでの連覇を経験し、2018年にはZERO1の「火祭り」を制覇。2021年にはデスマッチ王座に再び返り咲いている。キャリア全体を見ると、特定の試合形式だけに依存せず、複数の団体やルールに適応してきた点が際立つ。
【デスマッチの実績と評判】大日本プロレスで築いた王座歴
宮本裕向を語るうえで欠かせないのが、大日本プロレスでのデスマッチ実績だ。
デスマッチは、蛍光灯、有刺鉄線、足場などの特殊な道具や環境を使い、通常のプロレスとは異なる緊張感を生み出す試合形式である。宮本はその過酷さを前面に押し出すだけでなく、飛び技や大技を組み合わせるスタイルで存在感を示してきた。
大日本プロレスの公式プロフィールでは、BJW認定デスマッチヘビー級王座の歴代王者として、第24代、第30代、第44代の記録が掲載されている。これは初戴冠、2014年の2度目、2021年の3度目に対応する。
宮本裕向の主な王座・トーナメント実績- BJW認定デスマッチヘビー級王座: 第24代、第30代、第44代
- BJW認定タッグ王座: 第34代、第38代、第46代
- 666認定無秩序無差別級王座: 初代
- CZWウルトラバイオレントアンダーグラウンド王座: 第15代
- 爆破王: 第8代
- 大日本最侠タッグリーグ戦: 2012年、2013年、2014年優勝(木髙イサミとのチーム)
- ZERO1「火祭り」: 2018年優勝
これらは大日本プロレスやプロレスリング・ノアの公式プロフィールに掲載された主な実績であり、宮本のタイトル歴のすべてを網羅した一覧ではない。
なかでも、デスマッチ王座を3度獲得した経歴は、宮本の選手としての評価を考える際の重要な指標となる。
2014年には広島で伊東竜二を破り、2度目の戴冠を果たした。さらに2021年9月5日にはドリュー・パーカーを下して3度目の王者に。大日本プロレスの記録では、2022年5月5日の横浜武道館大会で同じドリュー・パーカーに敗れ、王座を失っている。
ここで押さえておきたいのは、過去に獲得した王座と、現在保持している王座は別の情報だということ。宮本がデスマッチ王座を3度獲得した実績は変わらないが、それを2026年現在の王者という意味で受け取るのは正確ではない。
評判を考えるうえでは、タイトルの数だけでなく、どのような相手と、どのような条件で戦ってきたかも重要だ。佐々木貴との建築現場デスマッチ、シャドウWXとの初戴冠戦、ドリュー・パーカーとの王座をめぐる攻防は、宮本のキャリアを振り返る際に外せない試合群である。
【得意技を解説】ムーンサルトプレスとファイヤーサンダーの魅力
宮本裕向の得意技として公式プロフィールに掲載されているのは、ムーンサルトプレス、ファイヤーサンダー、ヴァルキリー・スプラッシュ、卍コブラなどだ。大日本プロレスとプロレスリング・ノアでは、得意技の記載に一部違いがある。
ムーンサルトプレス
空中技・フィニッシュ技
コーナーなどの高所から後方宙返りをして相手に体重を浴びせる技。空中での身体操作と着地の精度が求められる。2008年のデスマッチ王座初戴冠戦でも決め手となった。
ファイヤーサンダー
大技・投げ技系の技
宮本の得意技として複数の公式プロフィールに記載されている技。ムーンサルトプレスと並び、技のバリエーションを知るうえで押さえておきたい。
ヴァルキリー・スプラッシュ
空中攻撃
公式プロフィールに記載される代表技の一つ。2008年のデスマッチ王座初戴冠戦でも使用され、最後のムーンサルトプレスにつなげた技として試合報道に登場している。
卍コブラ
関節・締め技系の技
プロレスリング・ノアと暗黒プロレス組織666のプロフィールに掲載されている技。空中技だけでなく、相手を制する技も持っている点が特徴だ。
技の名称・掲載情報は大日本プロレス、プロレスリング・ノア、暗黒プロレス組織666の公式プロフィール、および2008年の試合報道を参照。
宮本の試合を見る際は、派手な大技が決まる瞬間だけでなく、そこに至るまでの攻防にも注目したい。デスマッチでは特殊な道具や足場が試合展開に影響するため、通常のリングでの技の使い方とは異なる駆け引きが生まれる。
2008年の初戴冠戦では、ヴァルキリー・スプラッシュに続けてムーンサルトプレスを決めたことが勝利につながった。得意技を単独で覚えるだけでなく、試合の流れの中でどう使うかを見ることで、宮本のファイトスタイルをより理解しやすくなる。
【666・大日本・NOAH】団体を横断する宮本裕向の実力
宮本裕向の活動を特徴づけるのは、一つの団体に閉じないキャリアだ。暗黒プロレス組織666を拠点にしながら、大日本プロレスでデスマッチの王座を争い、プロレスリング・ノアなどにも参戦してきた。
暗黒プロレス組織666――独自のキャラクターと表現暗黒プロレス組織666は、宮本の所属団体だ。公式の構成員紹介には、プロフィール、得意技、タイトル歴などが掲載されている。
666での活動は、宮本の「デスマッチ・ヤンキー」という個性を理解するうえで欠かせない。デスマッチを中心にしつつも、独自のキャラクターや演出を生かした興行にも対応できることが、宮本の活動領域を広げている。
大日本プロレス――デスマッチの頂点を争う舞台大日本プロレスでは、BJW認定デスマッチヘビー級王座を3度獲得。木髙イサミとのタッグでもBJW認定タッグ王座を獲得し、大日本最侠タッグリーグ戦では2012年から2014年まで3年連続優勝を果たした。
デスマッチの個人戦とタッグ戦の双方で結果を残したことは、宮本のキャリアを考えるうえで大きい。個人の技量だけでなく、パートナーとの連係や試合運びでも成果を挙げてきたからだ。
プロレスリング・ノア――デスマッチ以外でも存在感プロレスリング・ノアの公式プロフィールにも宮本の選手紹介があり、過去の来歴や得意技、タイトル歴がまとめられている。公式の来歴では、木髙イサミとのタッグ活動や、デスマッチ以外の試合形式でも評価されてきた点が紹介されている。
ここで重要なのは、NOAHのプロフィールに掲載されていることと、同団体への専属所属を意味することは同じではないという点だ。宮本は666所属を軸に活動しながら、さまざまな団体のリングに上がってきた選手として捉えるのが適切だ。
「ヤンキー二丁拳銃」が示したタッグの強さ木髙イサミとのタッグチーム「ヤンキー二丁拳銃」は、宮本のキャリアを語るうえで重要な存在だ。大日本プロレスの公式プロフィールには、両者が組んでBJW認定タッグ王座を複数回獲得し、最侠タッグリーグ戦でも3連覇した記録が掲載されている。
デスマッチの選手というイメージが強い宮本だが、タッグでの実績を踏まえると、個人の大技や耐久力だけではなく、連係や戦略を含めた総合力にも注目すべきだろう。
【2026年最新】吉和小・中学校で開催された自主興行の全貌
2026年の宮本裕向をめぐる大きな話題が、地元・広島県廿日市市吉和で開催された自主興行「宮本裕向のプロレス2026」だ。
大会は2026年9月13日(日)に、宮本の母校である吉和小・中学校体育館で開催された。開催発表は同年6月に行われ、8月にはデイリースポーツが宮本の地元興行に向けた活動を報じている。
宮本裕向のプロレス2026
開催日
2026年9月13日(日)
会場
広島県廿日市市吉和・吉和小・中学校体育館
発表時の開催予定時刻
13時15分開場、14時開始
出場予定選手
宮本裕向、アジャコング、日高郁人、石川修司、藤田ミノル、アンディ・ウー、阿部史典、青木優也ら
出典:プロレスTODAY、デイリースポーツ。出場予定選手は開催前の発表に基づく。
なぜ母校で自主興行を開催したのか
デイリースポーツの2026年8月19日付報道によると、宮本が地元で自主興行を始めたのは2005年。新型コロナ禍による中断を挟み、2023年に再開した。今回の大会は3年ぶり6度目の開催と報じられている。
報道では、旧吉和村の人口減少が進む地域事情も取り上げられた。宮本は、子どもたちに夢や刺激を届けたいという趣旨を語り、子どもは無料で観戦できる仕組みを設けたという。大会には地元関係者や行政、観光協会なども協力し、家族も受付や物販、会場設営などの運営を支えたとされる。
この取り組みは、単なる地元凱旋試合とは少し意味が異なる。プロレスを観戦する機会が限られる地域で、自ら大会を企画し、子どもたちに実際の試合を見てもらう場をつくる。選手としての活動を、地域とのつながりに結びつける試みだ。
9月13日の大会は実際に開催された2026年10月時点では、9月13日の大会はすでに終了している。開催前の告知だけを読んで、今後の予定と誤解しないようにしたい。
大会当日の試合に関する投稿や観戦報告では、宮本裕向&アンディ・ウー組が石川修司&レイパロマ組に勝利したセミファイナルや、全選手参加の時間差バトルロイヤルが報告されている。こうした記録からも、発表された興行が実際に行われたことが確認できる。
ただし、開催前の出場予定と実際の出場選手・試合結果は分けて見る必要がある。試合の詳細を追う場合は、大会当日の報告や関係者の発信を参照するのがよい。
【プロの結論】宮本裕向を評価する3つの視点
宮本裕向のキャリアを振り返ると、デスマッチの王座歴だけでは説明しきれない特徴が見えてくる。選手としての評価を深めるには、次の3点に注目したい。
1. デスマッチでの実績は、長期的な競争力の証明2008年の初戴冠から2021年の3度目の戴冠まで、宮本は長期間にわたりデスマッチの王座戦線で戦ってきた。相手や試合形式が変わるなかで再び王座を獲得したことは、一度の大きな勝利にとどまらない実績だ。
2. タッグと他団体参戦が、選手としての幅を示す木髙イサミとのヤンキー二丁拳銃、最侠タッグリーグ戦3連覇、ZERO1の火祭り優勝などは、宮本の活動がデスマッチだけに限定されていないことを示している。プロレスリング・ノアの公式プロフィールでも、デスマッチを含むオールラウンドな選手としての来歴が紹介されている。
3. 地元興行は、プロレスラーの役割を広げる取り組み吉和小・中学校体育館での自主興行は、宮本が地元との関係を継続していることを示す活動だ。地方での興行は、会場の確保や運営体制、地域の協力が欠かせない。選手自身が企画を進め、子どもたちが観戦できる場をつくることには、試合の勝敗とは別の価値がある。
宮本裕向を初めて知った人には、まず2008年の初戴冠戦や2021年の王座奪還に注目することを勧めたい。デスマッチに慣れていない人は、試合形式の過激さだけでなく、技の組み立てや相手との攻防を観察すると理解が深まる。一方、長年のファンなら、王座歴に加えてタッグ戦や666での活動、地元興行のようなリング外の取り組みも追うことで、宮本の現在地をより立体的に捉えられるはずだ。
【宮本裕向】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:宮本裕向は現在何歳ですか?
2026年10月26日時点で44歳です。1982年5月25日生まれで、出身地は広島県廿日市市吉和です。
Q2:宮本裕向のプロレスデビューはいつですか?
2003年8月2日、WMFの徳島市立体育館大会で藤田峰雄を相手にデビューしました。本人の過去のインタビューでは、1999年に新日本プロレスの東京ドーム大会をテレビで見たことが、プロレスラーを志すきっかけだったと説明されています。
Q3:宮本裕向は大日本プロレスのデスマッチ王座を何回獲得していますか?
BJW認定デスマッチヘビー級王座を通算3度獲得しています。初戴冠は2008年12月、2度目は2014年6月、3度目は2021年9月です。2022年5月にはドリュー・パーカーに敗れて王座を失っています。
Q4:宮本裕向の得意技は何ですか?
代表的な得意技はムーンサルトプレス、ファイヤーサンダー、ヴァルキリー・スプラッシュ、卍コブラなどです。公式プロフィールによって掲載されている技には違いがあります。
Q5:宮本裕向の2026年の自主興行はいつ、どこで開催されましたか?
「宮本裕向のプロレス2026」は2026年9月13日に、広島県廿日市市吉和の吉和小・中学校体育館で開催されました。宮本の母校を会場とし、地元の子どもたちにもプロレスを届ける取り組みとして報じられています。
宮本裕向は、2003年のデビュー以来、暗黒プロレス組織666を拠点に、大日本プロレスのデスマッチ戦線やタッグ戦線、プロレスリング・ノアなどで経験を積んできたプロレスラーだ。BJW認定デスマッチヘビー級王座を3度獲得し、木髙イサミとのタッグやZERO1の火祭りでも結果を残している。
2026年は、母校の吉和小・中学校体育館で自主興行を開催したことも大きな話題となった。9月13日の大会はすでに終了しているが、地元でプロレスを届ける取り組みは、宮本の活動を理解するうえで重要な要素だ。
宮本裕向を評価する際は、デスマッチの過激さやキャラクターだけで判断するのではなく、王座歴、得意技、タッグでの実績、団体を横断する活動、地域への取り組みを合わせて見ることが大切だ。44歳を迎えた2026年の現在も、そのキャリアはデスマッチファイターという肩書きだけに収まらない広がりを見せている。