漫画家のとりいかずよしは、代表作『トイレット博士』で知られ、1970年代の少年漫画に強烈な印象を残した人物です。本名は鳥居一義(とりい・かずよし)。1946年11月12日に生まれ、漫画家として活躍する一方、愛知淑徳大学で漫画創作を教える教授・非常勤講師としても長年活動しました。
2022年2月9日に75歳で逝去したことが報じられ、漫画界や教え子たちからその功績を惜しむ声が寄せられました。ここでは、2026年現在の視点から、生年月日や本名、漫画家としての経歴、代表作、愛知淑徳大学での教員歴、そしてインタビューや大学の追悼記事から見えてくる人物像を整理します。
【プロフィール】とりいかずよしの本名・生年月日・逝去日

とりいかずよしは、愛知県出身の漫画家です。愛知淑徳大学の追悼記事や日刊スポーツの訃報記事などから、基本プロフィールと生涯の節目を確認できます。
本名は鳥居一義で、漫画家としての活動名はひらがなの「とりいかずよし」です。1946年11月12日に生まれ、2022年2月9日に逝去しました。生年月日と逝去日から、亡くなった時点での年齢は75歳です。
出身地は愛知県額田郡形埜村で、現在の岡崎市にあたる地域です。19歳で上京し、アニメーション関連の仕事を経験した後、漫画家としての道を歩み始めました。のちに名古屋へ拠点を移し、漫画制作と教育活動を並行して続けています。
日刊スポーツが2022年2月18日に報じた訃報によると、死因は膵臓がんでした。葬儀・告別式は家族で執り行われたと伝えられています。秋田書店も同日、追悼文を公表し、『トイレット博士』をはじめとする作品で読者に喜びと元気を届けた功績をたたえました。
なお、「とりいかずよし」という名前は、漫画家としてのペンネームです。検索時に本名の「鳥居一義」と活動名が別々に表示されることがありますが、いずれも同一人物を指しています。
【経歴・年表】漫画家デビューから晩年までの歩み
とりいかずよしの経歴は、アニメーションの仕事から始まり、赤塚不二夫のもとでの修業、少年漫画誌でのヒット、青年誌への進出、そして大学での後進育成へと広がっていきました。
愛知淑徳大学の追悼記事に掲載された略歴と、日刊スポーツの訃報記事をもとに、主な節目をまとめます。
| 時期 | 主な出来事 | 活動の特徴 |
|---|---|---|
| 1965年ごろ | 19歳で上京し、アニメーション関連の仕事を経験 | 漫画家になる前の下積み時代 |
| 1967年 | 赤塚不二夫に師事 | 漫画制作の技術と現場経験を積む |
| 1968年 | 『くちなし犬』で漫画家デビュー | 『週刊少年サンデー』掲載の読み切り作品 |
| 1969年 | 『トイレット博士』の連載を開始 | ギャグ漫画家として広く知られる契機となる |
| 1970年代 | 『うわさの天海』『くたばれ!とうちゃん』などを発表 | 複数の少年漫画誌で活動 |
| 1980年ごろ | 名古屋へ拠点を移す | 漫画に加え、地元の新聞・雑誌・ラジオ・テレビの仕事も担当 |
| 1985年ごろ以降 | 少年誌中心の活動から青年誌へ軸足を移す | ストーリー性を重視した作品にも取り組む |
| 2000年ごろ | 『デカダンス』を発表し、漫画家育成にも注力 | 愛知淑徳大学での教育活動が本格化 |
| 2017年以降 | 大学で非常勤講師として指導 | 漫画創作の授業やゼミを担当 |
| 2022年2月9日 | 75歳で逝去 | 大学や出版社が功績をしのぶ追悼記事を公表 |
デビュー作は、1968年に発表した読み切りギャグ漫画『くちなし犬』です。その翌年には代表作となる『トイレット博士』の連載を始め、漫画家として大きく飛躍しました。
その後は少年漫画だけにとどまらず、1980年代半ばごろから青年誌での作品発表にも力を入れました。漫画以外にもラジオやテレビのシナリオなどを担当しており、活動領域は幅広いものでした。
この経歴で注目したいのは、ヒット作を生み出した後も、創作の対象や仕事の形を変えながら活動を続けた点です。とりいかずよしは、ひとつの代表作だけで語り尽くせる漫画家ではありません。
【代表作】『トイレット博士』が少年漫画に残したインパクト
とりいかずよしの代表作として、まず挙げられるのが『トイレット博士』です。『週刊少年ジャンプ』で連載されたギャグ漫画で、トイレや排泄を題材にした大胆な笑いと、登場人物たちが巻き起こす騒動で人気を集めました。
日刊スポーツの訃報記事によると、同作の累計発行部数は1,000万部に達しました。連載は約8年にわたり、愛知淑徳大学の追悼記事でも、作中に登場する「マタンキ!」という合言葉が全国の子どもたちの間で流行したことが紹介されています。
同作の特徴は、当時の少年漫画としても強烈な題材を、ナンセンスな発想と集団劇によってエンターテインメントに変えた点です。下品さを前面に出した笑いは好みが分かれる一方、作品の題材そのものが読者の記憶に残る仕掛けにもなりました。
代表作以外にも、次のような作品があります。
- 『くちなし犬』:1968年に発表された読み切り作品。漫画家デビュー作として知られています。
- 『せんせい』:『月刊少年ジャンプ』で連載された作品です。
- 『うわさの天海』:『週刊少年マガジン』で連載された作品です。
- 『くたばれ!とうちゃん』:『週刊少年チャンピオン』で連載されました。
- 『ロボッ太くん』:『月刊コロコロコミック』で連載された作品です。
- 『デカダンス』:葛飾北斎を題材にした作品で、晩年の創作活動を知るうえでも重要な一作です。
『トイレット博士』は日本国内だけでなく、海外でも出版されました。2020年のENCOUNTによるインタビューでは、2001年に韓国語版が出版され、2019年にはフランス語版のコミックスが刊行されたことを本人が語っています。
また、集英社の書誌情報には、同作のデジタル版に関する情報も掲載されています。連載当時を知らない読者でも、作品を読み直す手段があることは、過去の漫画を次の世代へ伝えるうえで大きな意味を持ちます。
【大学教授・非常勤講師】愛知淑徳大学での教員歴とは
とりいかずよしは、漫画家としての活動に加え、愛知淑徳大学で漫画創作を教えた教育者でもありました。愛知淑徳大学の追悼記事では、文化創造学部、メディアプロデュース学部、創造表現学部で教授を務めた経歴が紹介されています。
大学での活動は2000年ごろから続き、学生に漫画創作の授業やゼミを担当しました。大学側は、20年以上にわたって指導に携わり、ゼミから複数のプロ漫画家を輩出したと説明しています。
その後、教授職を退いたとみられる時期を経て、2017年からは非常勤講師として指導を続けました。2020年7月のENCOUNTのインタビューでは、本人が、非常勤講師として週2日、全6コマを担当し、3年生と4年生の学生を教えていたと話しています。
同じインタビューでは、教え子のうち13人ほどがプロの漫画家になったとも語っています。大学の追悼記事にも、ゼミから何人ものプロが生まれたことが記されており、漫画家育成が長年の活動の柱だったことが分かります。
漫画家として第一線で仕事をしてきた人物が、実際の制作経験を学生に伝えることには、作品を描く技術だけではない価値があります。アイデアを形にする過程や、作品を世に出すまでの現実的な経験を、実践者の立場から伝えられるためです。
とりいかずよしの教員歴は、ヒット作を持つ漫画家が大学の教育現場で後進を育て、創作文化の継承に携わった例として捉えられます。
【人物像】創作への向き合い方と名古屋での活動
とりいかずよしの人物像を考えるうえで手がかりになるのが、2020年のインタビューと大学側の追悼記事です。そこから見えてくるのは、人気漫画家としての実績だけでなく、創作を続ける姿勢と、若い世代との関わりを大切にした一面です。
とりいは愛知県出身で、19歳のときに上京しました。その後、1980年ごろに名古屋へ拠点を移し、漫画制作を続けながら、地元の新聞や雑誌、ラジオ、テレビなどの仕事も手がけました。東京の出版社を中心とする漫画業界で活動しつつ、生活と仕事の拠点を地元に戻したことは、長期的なキャリアを考えるうえで興味深い点です。
また、少年漫画で人気を得た後も、青年誌でのストーリー漫画やシナリオ制作に取り組みました。ギャグ漫画家というイメージにとどまらず、異なるジャンルや表現方法を模索していたことが、作品歴からうかがえます。
2020年のインタビューでは、年齢による手の震えなどから、自分で作画することが難しくなり、漫画の原作を中心に考えるようになったと語っています。同時に、教え子の成長から刺激を受けていることも話していました。創作の方法が変わっても、物語を考え、漫画に関わり続けようとしていた姿が伝わります。
この点は、人物像を理解するうえで重要です。とりいかずよしは『トイレット博士』の作者として記憶される一方、漫画を描く側、物語を考える側、そして学生を指導する側という複数の立場を経験した人物でした。
大学の追悼記事が長年の指導への感謝を記していることも、教育者としての活動が周囲に認められていたことを示しています。作品のヒットだけでなく、後進を育てたことも、彼のキャリアを語るうえで欠かせない要素です。
【2026年現在】とりいかずよしの活動と作品はどう受け継がれる?
「とりいかずよしは現在何をしているのか」と検索する人もいますが、2026年現在、本人はすでに逝去しています。2022年2月9日に75歳で亡くなったことは、愛知淑徳大学の追悼記事や日刊スポーツ、秋田書店の公表情報で確認できます。
一方、本人の逝去と作品の終わりは同じではありません。『トイレット博士』をはじめとする作品は、漫画史を振り返る資料であり、当時の少年漫画の表現や読者文化を知る手がかりでもあります。集英社の書誌情報にデジタル版の記載があることからも、作品に触れるための道筋が残されています。
作品をこれから読むなら、まずは『トイレット博士』から入ると、とりいかずよしが広く知られるきっかけとなったギャグの特徴をつかみやすいでしょう。ほかの作品も読むことで、少年漫画誌ごとの作風や、ギャグ以外の題材に取り組んだ幅広さを比較できます。
人物や作品を調べる際には、ペンネームと本名を区別すること、逝去日と報道日を混同しないこと、教授と非常勤講師の時期を分けて理解することがポイントです。とりいかずよしの場合、訃報が報じられたのは2022年2月18日ですが、逝去日は同月9日です。また、大学での教育活動は教授職だけでなく、その後の非常勤講師としての指導まで続いていました。
漫画家としての代表作だけを知るのか、教育者としての仕事まで含めて知るのかによって、人物像の見え方は変わります。作品の歴史と大学での教員歴を合わせて見ることで、とりいかずよしが漫画文化に残した功績を、より立体的に理解できます。
【とりいかずよし】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:とりいかずよしの本名と生年月日は?
A1:本名は鳥居一義です。1946年11月12日生まれで、愛知県額田郡形埜村(現在の岡崎市にあたる地域)の出身です。
Q2:とりいかずよしはいつ亡くなりましたか?
A2:2022年2月9日に75歳で逝去しました。日刊スポーツの訃報記事では、膵臓がんのため名古屋市内の病院で亡くなったと報じられています。
Q3:とりいかずよしの代表作と大学での経歴は?
A3:代表作は『トイレット博士』です。ほかに『ロボッ太くん』『うわさの天海』『くたばれ!とうちゃん』などがあります。愛知淑徳大学では文化創造学部やメディアプロデュース学部などで教授を務め、2017年からは非常勤講師として漫画創作の指導に携わりました。
とりいかずよしは、1946年11月12日生まれ、本名・鳥居一義の漫画家です。『トイレット博士』の大ヒットによって広く知られ、『ロボッ太くん』『うわさの天海』『くたばれ!とうちゃん』など、多様な作品を発表しました。
1980年ごろに名古屋へ拠点を移してからも、漫画制作やシナリオの仕事を続け、愛知淑徳大学では教授・非常勤講師として学生の指導に携わりました。20年以上にわたる教育活動と、教え子からプロ漫画家を輩出した実績は、漫画家としての功績に並ぶ重要な足跡です。
2022年2月9日の逝去により本人の活動は幕を閉じましたが、作品を通じて当時の漫画文化を知ることができ、教育者としての功績も大学の追悼記事に記録されています。とりいかずよしを理解するには、代表作のインパクトだけでなく、創作の幅を広げた経歴と、次の世代へ漫画を伝えた教員歴まで目を向けることが大切です。